さて、いつだかのサッカーワールドカップ最終予選で、日本が中東のどこだかの国にロスタイムに点を入れられ、結果、初のワールドカップ出場を逃した。これが、一般的に「ドーハの悲劇」と呼ばれている出来事の大雑把な概要である。
この試合は私もテレビで観戦していた。もちろん我が国の代表チームの勝利を期待して応援していた。
試合は、1点リードして終盤を迎えていた。このまま終わればワールドカップへの切符を手に入れることが出来る。後半の45分が過ぎた。あとはロスタイムだけだ。数分のロスタイムはもう過ぎたのでは?しかし、まだ主審の笛は吹かれない。プレーする日本代表選手たちの「終わってんじゃないの?」という表情がテレビの画面に流れた。ラモスもその一人だった。彼が焦り、浮き足立っていたのは明らかだった。中盤でボールを受け取ったラモスが、不用意に、中途半端に、何の意図もなく前に蹴り出したボールは、相手チームの選手へのパスになってしまい、その後同点ゴールを許してしまった。そのままボールを冷静にしばらくの間キープしていれば、或いは、最低でも、ボールを相手ゴール方向のライン外に大きく蹴り出していれば、「ドーハの悲劇」は起こらなかっただろう。
日本代表選手たちのプレッシャー、甘さ、経験不足による自滅だった。「ドーハの悲劇」の直接的な原因はラモスのあのプレーにあった。が、彼が、日本代表を最終予選のあの一戦まで勝ち上がらせた最大の貢献者の一人であることは間違いない、と私は思う。
ドーハは、オイルマネーで発展を続ける中東諸国の首都の中では、「最も退屈な都市」と言われているらしい。歴史的な建造物もなく、派手な近代的高層ビル群やどこにでもありそうな巨大ショッピングモール以外には、特に見所は無いとのこと。
今回の滞在は、きわめて短時間であり、また、初めてなのでワクワクしながら町を歩いたが、確かに、数日居れば飽きてしまうかもしれない。
ぶらりと歩いたホテル周辺には、大小の商店街がいくつかあった。お土産を買った店の人は、バングラデシュから出稼ぎに来ていた。海外から商売に来ている人も多いようだ。土産物屋で買った、金属で出来た小さいラクダの置物は中国製であった。
翌朝上空からドーハとカタールを眺めた。ほんの一部の都市空間を離れると、砂漠の中に点在する新興住宅地が見え、その後は不毛な砂漠地帯が続いていた。
用意されたホテルの部屋は
広い 広過ぎる
廊下の幅も広い
数時間だけの睡眠にはもったいない
ビュッフェの夕食 内容は今ひとつ
4つ星ホテル 宿泊客はあまりいなかった
湾の向こうに高層ビル群が見える
大きなスーク(バザール)の外壁
月と砂漠
ここはアラブの国
スークの中
鳥のマーケット
鳴き声がうるさいくらい
正月なのに暖かいのは嬉しかった
金と〜銀との〜
スークの中の大通り
お土産屋やカフェがあります
ひとやすみ
400円くらいだったか
ここはアラビア
明日は3時に起こされるので帰る
翌朝 ドーハの空港 出国審査を終えたところ