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2013/02/04

Diego de Morón 「ディエゴ・デ・モロン」

2008年の秋にグラナダのレコード屋(レコードはほとんど売っていないからCDショップかな)で、このCD「ディエゴ・デ・モロン」を買うまで彼の名前すら知らなかった。彼の叔父のディエゴ・デル・ガストールのCDを探していたが無かった(普通無い)。が、店員が「彼の甥のならあるよ」(おそらくそう言ったのだろう)と言って教えてくれたそのCDを買って意気揚々とピソ(アパート)に帰った。

聴いた第一印象は、

なんだこれ
フラメンコギターでは普通使わないドラムやシンセサイザーが入っていてかなり変
叔父のようなギターを期待していたのにちょっとがっかりだ など

一応MP3ウォークマンに入れはしたが、全曲をじっくり聴いて正当に評価されることなく、この名盤はしばらく不憫にも放っておかれた。不憫だったのは自分だと気づいたのは、スペイン国内を長距離バスで移動中に、何も期待せずにこのCDを流して聴いていたときだった。

叔父の演奏とは違うが...

もしかしたら...

いや、これは間違いなく...

「すごい」

その一言だけだ

1977年に発売されたこの作品は、私の知る限り、ソロの曲だけできちんとレコーディングされたアルバムとしては彼の唯一の作品である。そして、インターネットの通販で手に入る彼の唯一のCDであろう。迫力と繊細さを兼ね備えた彼のギターが、デタラメではなく「絶妙な間」と感じられるのは、聴く人のグルーヴと確実にシンクロしているからに違いない。因みに1977年と言えばEaglesの「ホテル・カリフォルニア」やABBAの「ダンシング・クイーン」が流行っていた頃だ。

このアルバム、初め、かなりの違和感があったドラムやチープなシンセサイザーも、聴いて行くうちに彼のギターの邪魔ではなく、いつの間にか「うまく融合している」と感じるようにもなった。(これには異論もあるでしょうけど)

聴き始めた頃はソレアやアレグリアスが好みだった。しかし、毎日のように聴き込んでいくと、CDの後半に向かうほどすごい演奏になって行くと感じた。

フラメンコギターやギターそのものを聴かない人だけでなく、ギターの演奏を聴くのが好きな人たちにもこのCDを聴いてもらったとして、さてどう感じるだろうか? 興味深い。


聴き始めると毎回彼の世界に引き込まれて行きます


Granada to Madrid

Madrid to Salamanca

Sevilla to Lisbon


長距離バスの中で飽きることなくホントによく聴いた



YouTubeで聴くことができる曲もありました

1曲目 ブレリア Bulerías



3曲目 アレグリアス Alegrías



ディエギートのギターについて書きたいこと

他にもいろいろあるけれど

もう寝ないといけないので今日はこのくらいにします



2013/01/30

Diego de Morón 「偶然は作るもの」

ディエゴ・デ・モロン(ディエギート)のリサイタルがモロンであったようだ。見に行きたかった。モロンにお住まいのTさんが撮った写真を見た。とても素敵な笑顔をしている。

実は、モロンに滞在していた時、彼と会って言葉を交わすことができた。偶然、いや本当は「運が良ければ会えるかな」と思い、ディエギートの自宅のすぐ近くにあり、彼がたまに買い物に来るというスーパーマーケットEl Jamónの前をウロウロしていたときバッタリ出会ったのだ。幼なじみのH君が高校の時私に言った言葉を思い出す。

「偶然は作るものだぜ」

出会う可能性はある程度あったにもかかわらず、いざとなると興奮、そして緊張した。そのときは舞い上がってしまい、ろくな会話もできなかった。あのときの顔と今回の舞台上での顔では印象がかなり異なる。日本に帰る数日前のことだった。


モロンのピソのテラスから


ディエゴ・デ・モロンという人は一体どんなギターを弾くのか?
入手できる音源やビデオの数は多くないが、YouTubeに少しだけアップされている。1990年のセビージャでのリサイタルの演奏の録音があった。残念ながら演奏は音だけで映像は無いが、彼やモロンのいろいろな年代の写真を見ながら素晴らしい演奏を聴くことができる。録音もまずまずきれいだ。






2012/01/22

Peluquería en Morón モロンの床屋

髪が伸びてきたので床屋に行きたくなった。現地在住の日本人Tさんに訊くと、モロンに床屋は二軒あるとのこと。ディエゴの銅像がある公園のすぐ近くにある方に行ってみた。


 モロンの目抜き通り  Calle Pozo Nuevo

Diego del Gastor の銅像がある公園


その小さな床屋は、昔からここにあり少なくとも三代は続いている感じの懐かしい匂いがする地味な店だった。店主は、モロンで生まれ育ち数年前に父親から店を継ぎ、これからもこの町を出ることなく一生この店を守っていくのだろうということが容易に想像できる、職人気質の、真面目で少し神経質そうなおじさん、というにはまだ若い旦那だった。

私が店をのぞいた時はおじいさんが髪を切っていた。ご年配の客が多いようだ。次の予約は入っていないようで、「30分後に来なさい」と言われ30分後に再び行った。若旦那一人でやっているようで髪を切る椅子も一台しかない。椅子の前に鏡があるが洗面台はない。切るだけで洗いはないようだ。

おじいさんの整髪が終わった。若旦那は一度店の奥に入りカードのようなものを持ってきておじいさんに渡している。メンバーズカードか何かだろうか。次は私の番で椅子のところに呼ばれた。スペイン語であまり細かい注文は付けられないのでとりあえず「短くしてください」と伝える。カット開始。若旦那は使いこんだマイ・ハサミを器用に使い、時間をかけて少しずつ慎重に私の髪を切って行く。アジア人がモロン(スペインどこでも)にいると明らかに外国人だとわかる。若旦那は、「どこから来たんだ?」「ここで何してるんだ?」などと話しかけてくるので、私も拙いスペイン語で答えた。

「スペインでどこを旅行した?」
「今回はセビージャ、アルコス、グラナダに行きましたよ。」
「#$%&△◎…には行ったか?」

何と言ったかよく聞き取れなかったので訊きなおしたがやはり聞いたことのないところだ。

「#$%&△◎…はいいところだよ。時間があったら行くといいよ。」
「そうですか。#$%&…ですね。」

若旦那は私の頭と鏡を交互に見ながら、まるで自分の持つ技術の粋を駆使して珍しい外国人客の頭に挑んでいるかの如く丁寧にそして粛々と髪を切って行く。のはいいのだが…さっきから自分の切り易いようにと、私の頭の位置を微調整するために、指先で何度も私の頭を小さく突いてくるので少し気持ちが悪くなってきた。

「#$%&△◎…はいいところだよ。行ったことないなら是非一度行ってごらん。」
「#%$&◎△…ですかぁ。」

よほど良いところらしい。カットが終わるまでにもう1、2度奨められた。

若旦那がハサミをしまう。ようやくカットが終わった。と思ったら、気になるところがあったのか、またハサミを取り出し微調整。今度はOK、と思いきやしまったハサミをまたまた取り出して再微調整。正にこだわりのある髪切り職人だ。これが何度か続きようやく終了。随分短くなったけど悪くはないかな。若旦那、腕は確かなようだ。ただ、髪型は「髪が頭皮にペッタリとくっつく感じ」に仕上げてある。スペインの流行なのかもしれない。

洗いはないのでもう終わり。若旦那はさっきのおじいさんの時と同じように、一旦店の奥に入りカードを三枚持ってきて私の眼前に提示し、微笑みながら私に一枚選ばせた。



カードの表 いや、やはりこちらが裏か


裏というか表というか


特に欲しいわけではなかったけれど、ここの人と同じ扱いをされているようでちょっと嬉しかったのと、珍しい外国人客にせっかくくれるという好意(というか私がどんな反応をするか見たいという好奇心かも)に応えてあげないのは少し悪い気がしたし、そして…なんか楽しいじゃあ~りまひょうえのこうようかくへ。(下をご参照ください。)一応三枚ともざっと見てから一枚を選んでお礼を言った。

小さい頃、床屋に行くと帰りにガムをくれてすごく嬉しかったのを思い出した。中学生になりガムをくれなくなった時、悲しくなると同時に、「子供じゃなくなったんだ」と感じたものだった。

消費税込みカード込みで9ユーロ弱、文句のつけようが無い。



なんとAKBではあ~りま… 地道に頑張っていたんですね



Biblioteca de Morón モロンの図書館

モロンでインターネットをしたいと思いインターネットカフェを探すことに。人にいろいろ訊いてみたがどうやらこの街にインターネットカフェはないらしい。だが、ある人が「ビブリオテカで出来るらしいよ」と教えてくれた。「ビブリオテカ」って何だ?何やら難しそうな名前だし意味を調べるのも面倒なのでその件はしばらく放っておこうと思った。数日後、やはりインターネットができないのは不便だと感じ、忙しくなさそうな商店にぶらりと入り再び訊いてみた。「ビブリオテカで出来るよ」 やはり「ビブリオテカ」か。仕方ないので電子辞書で調べると何のことない「図書館」のことだった。早速道を尋ねて行ってみることに。


図書館の入り口 建物の名前はCASA DEL AGUA

モロンの図書館は、表通りから細い通りに入りしばらく道なりに進んだところに建っていた。その歴史を感じさせる立派な建物は、入り口にある説明を読むと、以前は氷で肉や野菜などを腐らないように貯蔵する倉庫だったらしい。それをモロン市が買い取り図書館として再利用、外装は昔のまま保存されている。


公共の図書館 その名の通り私も利用できました

建造物についての説明 歴史があるようです

中に入り受付で「インターネットをしたいのですが」と訊くと丁寧に教えてくれた。名前を書くだけで誰でもタダで使えるらしい。1階にノートPCが何台かあり空いているところを使う。なんでも自分のPCを持って来れば1階でも2階でも無線LANができるとのこと。うん、いいことを知った。アパートの部屋は寒かったけれど、図書館はエアコンの暖房が完備されていてとても快適だったので、モロン滞在中は毎日のように通い2階でゆっくりとインターネットを使っていた。利用者も、何かの試験に備えて勉強しているらしいとても真面目な感じの若者たち以外はあまり多くなく、そこはとても落ち着くことのできる空間だった。


2階から1階を望む 小ぢんまりとして清潔な図書館です

インターネットの利用だけで本は見ませんでした

私の定位置 電源コンセントも何箇所かあって便利でした


モロンにお出での際は是非ご利用ください。


モロン市役所前 年度末で?道路工事中


Viva, Morón!

2011/08/16

Ignacio de Amparo 3

ギターをしょったイグナシオが、少し息を切らせながら3階の私の部屋まで上がってくる音が聞こえる。レッスンは毎回「やぁ、寒いな Hola! Muy frio, no?」という挨拶で始まった。早速電熱器を挟んで座りレッスンスタート。1ヶ月の滞在中に週1,2回、計7回のレッスンを受けたが、その日はソレアの最終回、そしてブレリアの1回目だった。まず、今まで習ったファルセータを元にイグナシオが作ってくれたソレアを私が弾き、聴いてもらう。弾き始めてしばらくすると、緊張して指がうまく動かなくなる。人前で弾く時はいつもその傾向がある。余計な力が入ってがちがちだ。そんな私のギターをイグナシオは終始真剣な表情で聴いていた。私も真剣に弾いた。「最後まで止まらず弾き切るぞ」と何とかこらえ演奏終了。疲れた。

「よかったぞMuy bien 、心corazónがこもっていた。それが大切importanteなんだ。」

意外な褒め言葉に素直にうれしくなった。決してうまく弾けたわけではないが、そう言ってもらい確かな達成感があった。そして思った。「イグナシオのように魂のこもった迫力のある演奏がしたい」と。その後、ブレリアの基礎を習いその日のレッスンは終わった。つづく


Muy Bueno! Gracias, Ignacio.


2011/08/14

モロン回想

スペインから帰国して半年が経った。モロンでの生活もちょっと昔のことになりつつある。ブログの更新を怠けていたが、書こうと思っていたことを忘れないうちに少しずつ書いていこう、と3ケ月くらい前から考えていた。今日やっと実行。

モロンにいたのは今年の1月から2月まで。半年経ったので今はスペインも日本も夏だ。日本もかなり暑い。モロンの冬は寒かった。気温は日本ほど低くないと思うが、暖房機器が貧弱だから寒く感じる。建物が石でできているのも冷える原因かもしれない。アパートの部屋には最初小さなオイルヒーターだけだった。オイルヒーターは日本の自宅にもあり、その実力はわかっていたのでその効果はほとんど期待していなかった。予想通りだったので大家さんに頼んで電気ストーブを持ってきてもらった。それは所謂電熱器が大きくなったような感じのものだった。そういえば「ストーブ代わりの電熱器」なんていう歌詞があったっけ。でもそれはスペインではれっきとしたストーブなのでした。テーブルの下に置き、テーブルには布をかけて熱が逃げないようにする。ちょうど日本のコタツのようになる。私は部屋全体を暖めたかったので床にむき出しに置いて使っていた。これが結構暖かくて重宝した。というかそれがなかったら寒くて生活に支障をきたしたに違いない。大家さんも屋上のその部屋が寒いのを分かっていて、「3月になれば暖かくなるわよ。」と控えめに励まされたのを思い出した。


君と話し疲れて いつか黙り込んだ
ストーブ代わりの電熱器 赤く燃えていた

               森田童子「ぼくたちの失敗」より

2011/03/11

モロンという街 2

3万人弱の人口の内一番多いのは白色スペイン人、次がヒターノ(ジプシー)。その次は不明だが極端に少ないだろう。中国人が10人以上はいるだろうか。彼らが経営する中華料理屋が一軒、雑貨屋が一軒あった。訊くと彼らは数年前に中国大陸から来たと言う。そして日本人は今のところ二人である。数十年前までは洞窟住居で暮らすヒターノの家族も少なくなかったが、市の政策により、新しく建てられたアパートに移され今はそこで住んでいる人が多い。ヒターノは白色スペイン人をパジョと呼ぶが、ヒターノとパジョの関係は複雑らしい。お互いあまり干渉せず暮らしているようだ。外国人にはわからないところである。

さて、フラメンコはヒターノだけのものではない。ここモロンにも熱心なスペイン人アフィシオナード(愛好家)が多い。会員制のフラメンコクラブPeñaはバル(バー)も兼ねている。ペーニャ・デル・ガジョPeña del Galloには、月一回程度開催されるペーニャ(コンサート)を楽しみに多くのアフィシオナードが訪れる。年配の方が多い。私の滞在中にも二度開催され、一回はカディスからのカンタオール、2回目はパコ・デル・ガストールのファミリアたちが出演し、地元のフラメンコを楽しむことができた。そんなモロンであるが、フラメンコに全く興味のない人も数多くいることも書き加えておこう。


フラメンコたちが集まったCasa Pepeのあった場所


フラメンコについて詳しく書かれた本があるので紹介したい。「ひとつの生きかた」(A Way Of Life) である。(ドン・E・ポーレンDon E.Pohren著、青木和美訳、出版社 ブッキング)著者はアメリカ人(2007年没)で、1950年代にアンダルシアのフラメンコに初めて触れ、70年代までアンダルシアに暮らし、モロンの郊外のフィンカ(農園)を買い取って宿泊施設も兼ねたフラメンコセンターを作り、数年間経営したフラメンコアフィシオナードである。「ひとつの生きかた」は彼のフラメンコ三部作の三作目であり、当時のフラメンコの実情、ヒターノの暮らしや生き方を知ることができる。当時の貴重な写真も掲載されている。モロンのフラメンコたちについて特に詳しく書かれていて、ディエゴの演奏や人柄についてもよくわかる。私もモロン滞在中、ワクワクと胸を躍らせながら毎日少しづつ噛みしめるように読んだ。訳者の青木さんはスペイン在住であり、私がモロン滞在中にTさんのところへ遊びに来られお会いすることができた。博識な方でギターの腕前もかなりのものである。ポーレンの三部作の一作目「フラメンコの芸術」も頂いてしまった。「一つの生きかた」、ディエゴとモロンのフラメンコたちについて知ろうとすれば、これ以上の本を探し当てるのは難しいだろう。Superおすすめである。
なんといっても、亡くなった二人の哲学は、人生ははかない一瞬であり、憂鬱や悲嘆に足を引っ張られることなく生き抜くことにあったのだ。
「一つの生きかた」より (亡くなった二人とはモロンで愛されていたフラメンコ、フェルナンディージョとディエゴ・デル・ガストールのこと)


ポーレンのフラメンコセンター
建物はほぼ当時のまま残っている

2011/03/10

Ignacio de Amparo 2

その日もソレアのレッスン。前回のレッスンの後一日4~5時間練習して覚えたファルセータを弾く。わからなかった所を質問し確認したが、どうもこの前のとちょっと違う気がする。「即興Improvisatiónで弾いているので毎回少し違う。」とよく口にしていた。バリエーションがたくさんあるのだ。No pasa nada.あまり細かいことにこだわるのはやめよう。イグナシオは前回と同じようにファルセータをいくつか弾き、私に選ばせる。

イグナシオ「これはディエゴだ。」「これがディエギートだ。こっちの方がいいmejor(better)だろ?」

ディエギートのファルセータはディエゴのファルセータを基にしたものが多い。そう思うとディエゴの偉大さがよくわかる。ディエギートのファルセータは美しく、時に涙を誘う。

私「ディエギートのがいい。」
イグナシオ「おー、そうか、そーだろー。」

イグナシオが弾いた中にどうしても習いたかったものがあった。弾きたくて自分で音を取ろうとしたが無理だったものだ。
「ウン、タリラリーーン、ターリラリラーリーーン、ターーリラリー、ターリーラーリー、ジャーーン。」(これでわかる人は私のよい友達です。)
かっこいいー。「これだ!これを教えてくれ。」謎が解けてスッキリ、モロンに来て本当によかった。イグナシオは乗ってくると止まらない。次々と弾き、「もういいのか、次はどれがいい?」ギターが大好きなのだ。本当にうれしそうに弾く。結局その日はファルセータを5つ教わりレッスンを終えた。

イグナシオによると、彼が子供の頃、ディエギートが練習するのを家で一日中聴いていたそうだ。(うらやましい。)でも、ディエギートは自分から教えてくれたことは一度もなかった、とも言っていた。ディエゴについては彼が5,6歳の時に他界したのであまり覚えていないという。そんな中で育った彼がディエギートから受けた影響は計り知れない。大きくなってからは、ディエギートがどこかに演奏しに行くときに、「イグナシオ、ついて来い。」と声を掛けられ、いつもディエギートのギターを持ってどこへでもついて行ったそうである。つづく


カレーライス食べてギターがんばろー


2011/03/08

モロンという街

モロン・デ・ラ・フロンテーラはスペイン南部、アンダルシアのセビージャ県に属する市である。セビージャからバスに乗り1時間15分くらいで着く。途中ハイウェイも長い時間走るので、東名高速なら東京から御殿場の手前くらい(わかって頂けるでしょうか?)の距離だろうか。そう考えると結構遠い。ここはアンダルシアのなだらかな丘陵地帯の入り口に位置している。気候は日本よりも暖かく、夏は暑い。最も暑い時は気温が45℃くらいまで上がる。人口は3万人弱、「のどかな田舎町」と言ってしまえば簡単だが、街を歩いているとその表現もピッタリは当てはまらないように感じる。それほど「田舎」でもないし、若者や子供も多く、派手ではないが結構活気もある。一見するとこれという特色や見どころのない平凡な住宅地、セビージャ近郊の小ぎれいで静かな小さめの小都市、といったところだろうか。


ピソ(アパート)から見たモロン城

Paseo del Gallo

El Gallo de Morón


見どころとして、イスラム時代のお城Castillo de Morónの跡や伝説の鶏El Gallo de Morónの銅像のある見晴らしのいい公園Paseo del Galloなどがある。が、ここモロンは観光地ではない。これは明らかだ。なぜかというと…絵はがきが売っていない。少なくとも私は見たことがない。(モロン市役所の方へ。もしあったらゴメンナサイ。)土産物屋も無い。が、しかし、観光地でないにもかかわらず目抜き通りにはちゃんと観光案内所がある。観光客は多く見積もってもせいぜい一日一人であろう。(言い切るのもなんですが本当にそんな感じ。)お客が少ないからか観光案内所に行くと、いつもお姉さんが丁寧に対応してくれる。鉄道も通らない、観光地でもない、また他の観光地への経由地でもないこの街にわざわざ遠くからやってくる人は少なく、そのような人々の目的の多くはこの地のフラメンコである。


Paseo del Galloから見た街並み

ピソから見た街並み


現地に在住のTさんによれば、モロンは陸の孤島「ガラパゴス」、だそうだ。そうかも知れない。モロンの人(モロネーというらしい、ちょっとだけかっこいい。)はモロンが大好きだ。ここで生まれて育ち死ぬまで離れない人も多いという。生活はすべて地元で事足りてしまうので、セビージャにさえめったに行かないらしい。私も一ヶ月住んでみて、とても居心地が良かった。静かで安全でのんびりしていて物価も安い。住民はお互いに顔見知りな場合が多く、都会のようにギスギスした雰囲気はない。きっと長く住めば「おらが街」と自慢したくなる、そんな街である。

Calle Fernando Villalon

モロン市役所


そして…ここがその陸の孤島(のようなところ)であるが故に、幸いにも昔ながらの、ちょっと言葉は悪いが「土臭い」そして味のあるフラメンコが、あまり流行に左右されることなくしっかりと現在に受け継がれているのかもしれない。つづく


深夜の目抜き通り Calle Pozo Nuevo

2011/03/02

Ignacio de Amparo

モロンに着いた日の夜、早速イグナシオのレッスンを受けた。初対面。がっしりとしたガテン系の体つきとスキンヘッド、叔父のディエギートに全く似ていない。Hola, encantado!はじめましてとあいさつを交わして握手した手は男らしく力強かった。大きく太い声を持つ彼は、同時にとても熱くそしてやさしくて純粋な眼の持ち主でもあった。どうして初めて会った瞬間にそんなことがわかるのか、って?んー、これは多分に後々得た印象も含まれているかもしれない。とにかくフレンドリーでさわやかな男であった。


ステーキ食べてギターあんぱろーがんばろー


レッスンスタート。「弾いてみろ。」というので知っていたディエゴのソレアを弾く。いつもどおりあまりうまく弾けなかったがそれはいい。こちらのレベルを分かってもらえた。イグナシオは真剣に私のギターを聴いていた。上手い下手は別にして、時折、「こんなのも知っているのか?」というような驚いた表情もしていた。「何を教わりたい?ソレア、ブレリア、シギリージャ?」と訊くので、ソレアと答えた。やはりソレアでしょう。「OK!」と言ってイグナシオは弾き始めた。ゆったりと構えたギターで弾くソレアは、ゆっくりとして力強いものだった。絶妙な間と唸るようなプルガール。その迫力に圧倒される。こりゃすごい。まさにディエゴだ。おれが求めていたトーケだ。イグナシオは次々とファルセータを弾いて、「これか?これはどうだ?」と、どれを教えてほしいのか訊いてくる。「それがいい、それを教えてくれ。」と頼む。そして一つ一つゆっくり真似して覚える。その日は、初めて聴くものも含めてファルセータを4つ教わった。「もっとブリッジ寄りで弾け。」「ソレアはゆっくり弾くんだ、心corazónをこめて。」イグナシオは真剣に教えてくれた。嬉しかった。イグナシオも嬉しそうだった。気がつくと一時間半が過ぎていた。つづく


2011/03/01

モロンへ

モロン滞在中、週に1~2回イグナシオIgnacio de Amparoのレッスンを受けた。モロンに1年以上滞在しているディエゴの大ファン、マニア、いやオタクであるTさんのブログで彼のことを知った。

私はディエゴやディエギートのギターが好きで、何年も前から是非モロンのギターを習いたいと思っていたが、どこに行って誰に教わることができるのかネットでくまなく調べたがわからない。どうもディエギートは教えていないようだし、もし教えてくれる人が見つかっても、モロンに一軒あるホテルに長期で泊まれば滞在費がかさむ(以前日帰りと一泊、モロンへは2度行ったことがあり、その一軒のホテルHostal Morónにも泊まったことがある。安い部屋で一泊30ユーロ)。セビージャやへレス、グラナダと違ってレッスンしてくれるギタリストやアパートの情報がないのだ。

そこで出会ったTさんのブログ。「イグナシオしかいない!」ブログによると彼はギターのプロとして生計を立てているわけではないが、ディエゴたちの演奏スタイルを受け継いでおり、そのギターはmás puro(より純粋、ピュア)だと言う。面識のない方だったのでメールするのは多少躊躇したが、意を決してメールし、「モロンに行くのでイグナシオを紹介してもらいたい」と伝えた。Tさんはどこの馬の骨かわからない私(しかも男)に返事を下さり、モロン行きが決定。というか「伺いますのでどうぞよろしく」と勝手に宣言。今回の滞在ではTさん、そして奥さまのMさんに何から何までいろいろとお世話になり、また本当に親切にして頂いた。その上、お二人は私がお邪魔した日の前日の深夜に日本から戻られたばかりで、お疲れのところ大変ご迷惑をおかけしてしまった。

Tさんとはモロンのバス停で待ち合わせることになった。「ここで降りるんじゃないのか?だれか待ってるぞ。(スペイン語はわからなかったがおそらくそんな感じ)」見知らぬ乗客に促されてバスを降りると、ディエゴと同じような帽子をかぶった、想像していたよりもやさしい感じのTさんが出迎えてくれた。知らない者同士、その時初めて顔を合わせてお互いにやっと少し安心できたでしょうか。とりあえずその日はオスタルモロンに泊ることにしてチェックイン。次の日以降の滞在先は決まっていなかったが、Tさん「上の部屋空いてるんじゃないかな。訊いてみるよ。」空いていました上の部屋、それは一番上の屋上の小さな部屋。なんてラッキーなやつ。Tさんはイグナシオにも連絡してくれて、なんとその日の夜からレッスンを受けることになったのである。次の日の朝セビージャのホテルに預けてあったスーツケースを取りに行き、大家さんに家賃と保証金を払いほっと一安心した。つづく


バルコニーから見たモロン城

モロンの夕日


2011/02/28

Seeing Dieguito

One day, walking down the street to a park near the Peña El Gallo in Morón, I happened to see Dieguito (Diego de Morón) for the first time.

I was with Ignacio and his family then. At first, Ignacio found his uncle Dieguito walking alone on the other side of the street. He said to me, "Look! That is Dieguito." No sooner had I looked at the direction and recognized him than Dieguito was spoken to by someone, maybe his friend, and began to talk with him. So we did not step up to him and just left there. He was thinner and looked nicer than I imagined. He dressed in a casual jacket with his hair tied on the back. He was so cool.

I could not talk to him that day, but I was very happy anyway. I love his music as well as that of his uncle Diego del Gastor.

DieguitoはDiego del Gastorの甥である。私の中で一番のアーティスト、憧れの人である。滞在中に会えることを期待していたので、ちらっとだけだが姿を見ることができて嬉しかった。私は一ヶ月のモロン滞在中、イグナシオ・デ・アンパロ(Ignacio de Amparo、ディエギートの甥)にフラメンコギターのレッスンを受けていた。その日は土曜日で、午前中にレッスンがあった。レッスンの後、近くのスーパーEl Jamónに食料品を買いに行った時、スーパーの前でまたばったりイグナシオのファミリーと会い、一杯飲みに行こうと誘われてガジョ(Peña El Gallo)の近くの公園に行くところだった。ディエギートは・・・・かっこよかった。


Calle Diego del Gastor  ディエゴ・デル・ガストール通り



2011/02/26

…そして帰国

いきなり”帰国”はないだろうと思うかもしれないけれど、実はもうモロンに行って2月15日に帰ってきてしまったので…。モロンの・・・の話は追々ゆっくりと。

では、なりふり構わず心躍る飛行機の話をするとしよう。帰りの飛行機はパリ経由のエールフランスにした。マドリードー成田の往復で7万円ちょっとと安かったのと、パリから成田の便が一度乗ってみたかった世界最大の旅客機エアバスA380だったから。日本発だと2~3万円以上も高いけれどなぜでしょう。さて、わくわくしながら搭乗したA380は期待が大きかったが故に、最初は少し期待外れかなと思った。ビジネスクラス以上だったら他の機種との差があったのかもしれないけれど。エコノミーの座席の前後の間隔はむしろ狭いと感じた。明らかに行きに乗ったKLMのジャンボの方が余裕があった。でも航空会社によって座席数や配置も違うので一概にA380の評価をすることはなりませぬ。座席幅は若干広かったかな。座席の配置は3・4・3、ジャンボと一緒であるが、通路やトイレ、トイレ周辺のスペースは従来の旅客機より随分広かった。新鮮だったのは、座席の前に付いた液晶モニターで飛行している自身の姿をリアルタイムで乗客に見せてくれることであった。垂直尾翼の高い位置にカメラが付いているのだ。初めはモニターに映る飛行機が今自分が乗っているものだと判らず、それが判ると同時にもの凄く感動した。肝心の乗り心地はというと、安定感があり揺れがほとんどなく非常に快適なフライトであった。また、エールフランスのサービスは従来通りとても感じがよくて満足できたし、機内食は牛肉を選んだらマスタードソースがとてもおいしかったので、今回のフライトに得点を付けるとしたら90点をあげたい。

帰国当日は、モロンのアパートを出てから20:00発の最終バスでセビージャへ。時間をつぶしてから深夜バスに乗り、6時間かけてマドリードへ到着。10時過ぎのフライトまで時間に余裕があったので空港までは地下鉄を利用。計15時間ほどのフライトで成田へ。成田からは高速バスに乗り無事帰宅。Door to Doorで34時間の長旅でさすがに疲れた。一ヶ月半ぶりの日本は寒かった。エアバスから見たシベリアはもっと寒そうだった。


でかい!けど決してジャンボと呼ばない

上は2階キャビンへの専用通路
2階は日当たりがよさそうです

バルト3国のリトアニア辺り うぅっ寒そう