当時はまだ東西冷戦中だった為、ソ連(ロシア)上空経由のフライトはアエロフロートのみで、ヨーロッパへのフライトは北回り(アメリカ、アラスカ州のアンカレッジ経由)か南回り(東南アジア経由)が一般的であった。北回りのフライトのチケットは値段が高いので、私は時間がかかる(27時間だった)が安い(といっても夏休み前の出発、四つ星ホテル二泊付きで23万円もした)シンガポール航空を選んだ。(1990年代初頭のソビエト連邦崩壊によりシベリア上空経由の航路が全面開放されたことにより、今ではどこの国の旅客機もロシア上空を飛べるようになっているのです。一回飛ぶのにかなりお金がかかるみたいですが。)
トーマスクックの時刻表を片手に、ブリットレイルパス(イギリス国内の鉄道パス)とユーレイルパス(その他のヨーロッパの鉄道パス)をフルに利用して、約2カ月かけてイギリス、アイルランド、フランス、スペイン、モロッコ、スイス、オーストリアを周った。ヨーロッパの鉄道は広軌(レールの幅が広い)なので、日本の電車と比べると車両の幅も広くスペースに余裕があって驚いたのをよく覚えている。
継ぎ目のないロングレールの上を重厚な鉄の塊が滑らかに滑っていく。そんな印象を持ったヨーロッパ特急は乗り心地も極めて快適だった。初めての海外一人旅、不安や緊張でいっぱいの私にとって、鉄道の旅そして列車内の広い座席は、安心してくつろぐことができる数少ない時間と空間だった。
ドイツのバンド クラフトワークの「ヨーロッパ特急」
スペインの超特急AVEの二等席 2006年
セビージャ駅 2006年
日増しに重くなるリュック、日々移動が続く余裕のない旅程は私をとことん疲弊させていった。帰国した時にはかなり体重が減っていた。列車のタイムテーブルや乗り継ぎをたくさん調べ、愛着が湧き始めていた「オレンジ色の憎いやつ」トーマスクックの時刻表をフランス辺りで列車内に置き忘れてきてしまいショックを受けた思い出もある。
追記:
こんな写真がありました。初海外旅行中の管理人(マンションの管理人さんではありません)です。前に見たときより確実に色あせています。(リコーのオートフォーカスのコンパクトカメラで撮影 たしか)
アイルランドのB&Bにて セルフタイマーで撮影
モロッコのティネリールにて ベルベル人の子供たちと
う~ん、今とあんまり変わんないかなー
月日の流れを否が応でも感じさせられます。