2011/08/20

大久保彦左衛門の彦

派遣社員としてコールセンターで働いていたことがある。その時の話。

そのコールセンターでは主婦、学生アルバイト、フリーターなど様々な人が働いていた。年齢層は20代から50代くらい、20代が一番多かった。そのときの業務の中で電話をかけてくる人の名前や住所を訊くことが日常的にあった。

「お名前をお願いします。」
「〇〇カズヒコ。カズは平和の和、ヒコは大久保彦左衛門の彦です。」

その電話を受けたのは20代の若者。電話を切った後、暇な時間に訊いてきた。

「大久保彦左衛門、って誰ですか?」
「えっ、知らないの?」
「私も聞いたことなーい。」「僕がこの前受けた人もそう言ってました。」

その名前を知らない若者が多かった(いや、ほとんどだった)のには驚いた。という私も、名前以外のことは、その戦国武将(のちに江戸幕府の旗本、ウィキペディアより)について知っているわけではなく、どんな人かと訊かれても説明できなかったけれど。電話の主の〇彦さんの多く(こちらもある歳以上の方々だろう)が、聞いたこともない、仰々しくて古めかしい同じ名前を口にするのが皆おかしかったのだろう。私自身もその後、同じような電話を受けることがあった。「おっ、きたきた。」私は喜々として、「はい、大久保彦左衛門の彦ですね。(分かりますよ~)」と吹き出しそうになるのをなんとかこらえて答えた。私たちはしばらく彦左衛門の話で盛り上がり、それをきっかけにお互いいろいろな話をするようになった。期間限定の仕事だったのだが、最終日にみんなで集まって打ち上げの飲み会を行うほど仲良くなった。

さて、自分の死後数百年後に、己の名前が「彦」という字の説明としてちょくちょく引き合いに出され、ひいては近年職場の潤滑油にもなっているとは、天下のご意見番、大久保彦左衛門様も想像されなかったであろう。彼の名前を使って説明する人は、その説明が自分の生きた時代でスタンダードだったから、そして、そう言えば相手にわかり易いと考えているからだろう。つまり、ちょっと前まで大久保彦左衛門の名は、多くの日本人にとって親しみのある名前だったと考えられる。電話の主は、その説明で通じなかった時、私同様、さぞ驚いたに違いない。「彦」の漢字の説明として、単に「彦左衛門の彦」というのも多かった。「彦根の彦」というのもたまにあった。「田原俊彦の彦」というのも一回だけあったが、20代の若者の内、彼の名前を知っている人がどれくらいいるだろうか。ところで、ヒコと読む単漢字は「彦」以外に思いつかない。「ヒコは彦ね」で十分わかるし、それが一番多かったかな。

ちょうどそのころ私は三味線の小唄や端唄(はうた)に興味を持ち、よく通勤途中に聴いていた。ある日、たまたま「かんちろりん」という端唄の中に大久保彦左衛門が出てくるのに気づいた時には、意表を突かれ心拍数が急上昇した。(笑) 三味線伴奏の端唄や小唄も粋だ。一度聴かれることをお奨めしたい。ディエゴのギターと三味線伴奏はどこか相通じるところがある。


旗本以下の輿が禁止された際に彦左衛門が
「大だらい」に乗って登城したという逸話の絵