2012/02/29

CD以前 Ⅰ

「はじめて買ったレコード 歌手は県知事に」
A good impression will last long

小中学生の時、テレビの青春ドラマを見るのが好きだった。「飛び出せ青春」「われら青春」「俺たちの旅」など、自分にもこれから訪れるはずの輝かしくも悩ましい時代を描いた名作ドラマの虜にならないでいるのは難しいことだった。

「おれは男だ!」は剣道に汗を流す高校生小林弘二が主人公のドラマ。主演は森田健作、藤沢商業(校名は時代とともに変わってしまいました)がロケ地として使われていた。なぜか今もよく覚えている回は、河原崎長一郎が演じる、主人公の兄小林一郎が研究の仕事に没頭するあまり家庭を顧みず弟に叱責され反省する、という話であった。森田健作が歌う主題歌「さらば涙と言おう」、挿入歌「友達よ泣くんじゃない」「男なら気にしない」などとても好きだった。

私が自分で初めて買ったレコードはこの森田健作の「若者たち」。本当は「さらば...」が欲しかったがあいにくそのレコード屋になく、ならば「友達よ...」にしようと思ったら弟に先に取られてしまったため、それが残された唯一の選択肢だったのだ。ともあれ初めて買ったレコードなので、それを初めて買ったということはいつになっても忘れない。










初めて買った洋楽のシングルレコードはクイーンQueenのボヘミアン・ラプソディBohemian Rhapsodyだった。中学2、3年の頃だ。そのころ日曜日の朝にニッポン放送で、ロイ・ジェームスが司会する「不二家歌謡ベストテン」の前に「ポップスベストテン」という番組が放送されていて、そこで毎週かかっていたのを聴いて好きになった。歌の意味はよく分からなかったが、きれいな歌声とコーラス、美しいメロディー、途中から意表をついてオペラ調になる面白い曲に心惹かれた。

初めて買った洋楽シングルレコードの、ジャケットの小さい写真や裏に書かれた情報量の少ないライナーノーツは、私の、クイーンそしてボーカルのフレディー・マーキュリーに対する想像力を激しくかきたてた。

「あなたのことがもっと知りたい」

そのあと程なくして、ボヘミアン・ラプソディーより前に出ていたシングル、キラー・クイーンKiller Queenを購入。買うまで一度も聴いたことがない曲だった。レコードに針を落として間もなく私の体に衝撃が走った。(ちょっとオーバーですけど)レコードが擦り切れレコード針も磨耗して先端が丸くなるほど(そんな表現がピッタリ)聴いたのは後にも先にもこの一枚だけである。








2012/02/25

CD以前 Ⅱ

「フェンスの向こうのアメリカ 本牧四丁目」
Peeping into the world of Samantha and Darrin

横浜にあった米軍住宅を訪れたことがある。駐留アメリカ軍兵士に嫁いだ親戚に招待されたのだ。中学一年のときである。祖父母と父母は背広と着物で正装し、子供たちもきちんとした格好をさせられた。まだかろうじてそういう時代だったのだ。

あいにくその日は小雨の降る天気だった。一家は東海道線で横浜まで行き、そこからバスに乗った。下車する停留所の名前は、家族が何度も確認し合っていたので今でも忘れずに覚えている。二十分もかからずにバスは「本牧(ほんもく)四丁目」に到着した。バスを降りるとすぐに、道に沿ってずっと張られた金網のフェンスが目に入った。その向こう側が白くてきれいな二階建ての米軍住宅が点々と建つ広大な芝生の敷地のアメリカだった。

ご夫妻の笑顔に迎えられ私たちは白いアメリカンハウスの中に入った。土足禁止にされていたので玄関で靴を脱いで上がった。ご主人はもう四十代か五十代の物静かでやさしそうな方だった。敷地が広いので遠くから見ると小さく見えた家も、中に入るとかなり広くて子ども心に羨ましく思った。広い部屋に敷きつめられた毛足の長いふかふかの絨毯や、畳の部屋なら1セット置いただけで足の踏み場がなくなりそうな大きなソファーは、正にテレビで何度も繰り返し見たアメリカのドラマ「奥様は魔女」のサマンサとダーリンの家と一緒だ。アメリカの家はインテリアの色や室内の匂いも違った。

食事に何を頂いたのか全く覚えていないが、アメリカの家庭なので、もしかしたらシュガーをふんだんに使ったチェリーパイをご馳走になったかも知れない。「何かして遊ぶ?」と訊かれたので、トランプがしたいと思い、アメリカ人のご主人に直接「トランプ、トランプ」と英語のつもりで何度か訴えたが全く通じなかった。奥様の助けを借りてようやく意味が通じた。英語ではplaying cardsと言うのである。中1の時の私の英語はこの程度だった。

その家で初めてアメリカのレコードを見た。それはカーペンターズCarpentersのLPレコード。チョコレート色のジャケットにCarpentersのロゴが書かれているアルバムだった。今調べるとカーペンターズが売れ始めてまだ2、3年の頃だ。「イエスタデイ・ワンスモア」は知っていたしいい曲だなとは思っていたが、私が熱心に洋楽を聴くようになったのはこの1、2年後からである。

誰一人として英語を話せなかった(別に恥ずかしいことではありません)うちのファミリーはアメリカ人のご主人とのコミュニケーションはほとんどなく、ホストに親切にして頂いたにもかかわらず終始緊張気味であったのは仕方のないことだ。ともかくもアメリカのライフスタイルを垣間見てフェンスの外の日本に戻った。

先日まだ若くして逝去された柳ジョージさんのグループ、柳ジョージ&レイニーウッドの「YOKOHAMA」というアルバムを大学生のときに買った。その中に「FENCEの向こうのアメリカ」という曲があり、このときのことを思い出した。もしかして私の訪れた本牧の米軍住宅がその場所だろうかとずっと思っていたが、調べてみるとやはりそうだった。米軍住宅地区は30年前に返還されアメリカンハウスは既に取り壊されていた。今マイカル本牧(現在はイオン本牧らしい)が建つあたりがかつてのその場所だという。


おすすめの2枚 CDも持っています


彼は元々ブルースの歌手だったが、柳ジョージ&レイニーウッドとして大ブレークした。彼のしわがれた迫力のある声はどこかやさしさも帯びている。柳ジョージの声がレイニーウッドのしっかりとしたサウンドや楽しいコーラスと、絶妙なアレンジにより融合して、インパクトがあり聴き心地も良い音楽になっている。詩や曲は柳ジョージ一人ではなくいろいろな方の手に依る。ブルース調(ブルースについてほとんど知らないのでこう書きます)のものだけでなく歌謡曲やフォークっぽく感じられる曲もあり、それが親しみやすい理由かも知れない。たまに出てくる重たい歌詞も、メロディーに乗って耳に入ってくるからなのか聴いているときは沈痛な感じをあまり受けない。2枚のアルバム「RAINY WOOD AVENUE」「YOKOHAMA」は彼らの金字塔と言ってもいいだろう。どちらも甲乙つけがたいすばらしい作品だ。ありがとう柳さん。


何をされても 笑っていた
お前の胸の中には
数えきれない十字架が
突きささっていたんだろう

「ブラサー・ジョー」より

人生のサンプルはごめんだよ
気取っても 酔いどれても
時間(とき)は過ぎていく

「チャイニーズ・クイーン」より


CD以前 Ⅲ

「LPレコード 小脇に抱えて 登校す」
Thank you, great reminder

CDという便利なものが世に出るまで、音楽を購入する場合レコードという形が一般的だった。カセットテープも売っていたが、テープが伸びたり絡まったりするとオシマイなので、カセットテープで聴きたい場合も、レコードを買うか借りるかしてそれをカセットテープに録音して聴いていた。家ではレコードプレーヤーやカセットデッキで音楽を聴き、外出先にはウォークマンを携帯し(1980年頃以降)車の中ではカセットデッキだった。音楽を聴く主要な方法として他に、今も健在でこれからもなくなりそうにないラジオがあった。すごいねラジオ!今ではインターネット・ラジオという私の中で赤丸上昇中のすぐれものもある。

高校、大学の頃は友達の間でよくLPレコードの貸し借りをした。聴きたいけれども持っていないものを借りて録音したり、「これ結構いいよ」と奨められ借りてからファンになったりしたのは楽しい思い出だ。

大学生の時、同じクラスの友人の京王線沿線にあるアパートに遊びに行った。北海道出身のA君曰く「千春は北海道ではヒーローさ」(この「さ」には特に自慢の語気はありません)。その頃の松山千春は私も大好きだった。俺が故郷の英雄を特別な気持ちで誇りを持って応援できるのが羨ましかった。東京近郊に住んでいた私は、生まれてからずっと暮らしてきた場所を何故か「私の田舎」だと感じることはなかったし、地元出身のアーティストが出たとしても、その人が親しい知り合いでもない限りは特別な感情も湧いて来ないと思う。

北海道出身のA君が「結構いいさ」と貸してくれたのは千春ではなく九州鹿児島出身の長渕剛のセカンドアルバム。初めての大ヒット曲「順子」を含め純朴で新鮮な曲の詰まった作品で、聴いて行くうちにじわじわと良さが分かるアルバムだった。さっき部屋で発見したのは、気に入ってその後自分でも買ったものだろう。まさかあの時以来借りっ放しということはあり得まい。「順子」は実在の人物で彼の先輩の親しい友達の元カノ、とかなんとか教えてくれたA君、卒業後は北海道に帰ったと聞くが今はどうしているのだろう。


ちゃんと返したよね

裏はさわやか君です Nice Guy!



2012/02/23

CD元年 プロローグ

「えげれすの ぜんとるまんは いまいかに」
「制服の 女子高生よ 君もかい」
England, Australia and China

私が初めてCDと出会ったのは1983年7月のことである。場所は、生まれて初めて訪れた異国の地、イギリスのロンドン。

見知らぬ大都市のストリートで立ち止まって地図を眺めていると、足早に歩く現地のビジネスマン風の男性がさっと近寄って来て May I help you?  いかにもストレンジャーの素振りをした私に丁寧に道を教えるとまた足早に去って行った。クールでスマートな立ち振る舞い。三日の滞在で同じような経験を何度かしたので、その人だけが特別に親切だということではないと分かった。ジェントルマンの国イギリスに深く感心したのを覚えている。


London 1983

当時の地下鉄 車両の形・大きさは丁度大江戸線のよう


話はそれるが、同じアングロサクソン民族の国オーストラリアでも人が近寄って来ることがよくあった。でもそれはタバコを分けてもらうためだ。ごく普通の人も多いのには驚いた。彼らの口調は皆丁寧で、立ち振る舞いもどこかイギリスのジェントルマンを彷彿させるのは面白かった。オーストラリアではタバコは高価なものなのだ。中国にも「煙酒不分家」という言葉がある。タバコと酒は誰のものということなくみんなで分かち合うものだ、という意味である。しかし、中国では「知り合った人に積極的にすすめる」、オーストラリアでは「見知らぬ人に積極的にもらいに行く」というところが決定的に違う。

タバコをもらいに知らない人が寄って来るのには程なく慣れたが、ある朝、通勤通学時間に駅前で立って一服していた時、微笑みながら近寄って来た制服姿のかわいい金髪女子高生に、May I have one? 「一本頂けますか?」と丁寧に頼まれたときは流石にたまげた。意表を突かれた私は、ほんの一瞬ためらうも丁重に断ったが......なんかドキドキしたー。


Sydney 2003  この駅の近くに部屋を借りていました

毎日ベイブリッジを渡って通学(もちろん電車で)

滞在中に湾岸戦争が勃発 反戦デモが盛んでした


2012/02/22

CD元年 Ⅰ

「ジャケットを じっくり眺めて 想像す」
A disk never been played

ミュージカルと言うものを観たことがなかった私は、せっかくロンドンに来たのだからと思い観に行くことにした。上演中のミュージカルはいくつかあったが、知っているのはエビータEvitaだけだったのでそれにした。知っていると言うより正確には題名を聞いたことがあるという程度で、ストーリーや背景もよく分かっていなかった。エビータは人気があり、その時もうかなりロングランしていたようだった。昼間劇場でチケットを買い(一番前の列だったけれど一万円はしなかったと思う)夜八時の開演を待つ。

さて、初めてのミュージカルの感想はというと....
開演後しばらくして眠気に誘われウトウトと。照明を落としエアコンで程よい室温に調節された劇場、意味のよく分からない英語と生のオーケストラが奏でるアンドリュー・ロイド・ウェバーの美しい音楽、長距離長時間フライトによる時差ぼけと体調不良、その体で一日ロンドンを観光して廻った疲れ。眠りを誘う要因は見事に全て揃っていた。音楽や歌声が急に大きくなった時などには、目が覚めてしばらくの間舞台をぼんやりと眺めていたが、覚えているのは、アルゼンチンの大統領ペロンの妻エヴァ(エビータ)がバルコニーで演説しているシーンなどごくわずか。私の大好きな曲「アルゼンチンよ泣かないで」Don't cry for me Argentina をちゃんと聴いていたのか、夢の中で流れていたのか、それとも残念ながら聴き逃してしまったのかすらも定かではない。(今となっては大した問題ではありません)


「エビータ」のジャケット チェ・ゲバラも出てたの?

のちに買ったアンドリュー・ロイド・ウェバーのCD
「キャッツ」「オペラ座の怪人」も彼の作品です

私が見ていようがいまいが「エビータ」は無事終演した。よく寝たはずなのに後悔の念で気分がすっきりしなかった私も人の流れに従い劇場のショップへ。せめて記念に何か買おうと店内を眺めると、この大ヒットミュージカルのLPレコード、と隣りには生まれて初めて見るCDが陳列してあった。CDはLPレコードと比べると随分小さくてオモチャみたいだった。日本に持って帰るには便利だが、何しろCDプレーヤーなど持っていなかったし、と言うかそもそも日本でそれを売っているのを見たこともなかった。それに、まだ普及するかどうかもよく分からないCDよりもLPレコードの方が無難と考えLPを購入、リュックに入らないので数日後に船便で日本に送った。

2ヶ月以上のヨーロッパ旅行から日本の自宅に帰ると「エビータ」はちゃんと届いていた。オリジナルロンドンキャストの歌と演奏の「エビータ」は長旅の疲れか、プリングルスのポテトチップ、いや手焼きの草加せんべいのようにいびつに歪んで波打っていた。今はそれを引きずってはいないが当時はかなりショックだった。CDにしておけばよかった。ジャケットから取り出すのもままならないほど歪んでいたが、それでも一縷(いちる)の望みを胸に、波打つ「エビータ」をなんとかレコードプレーヤーにセットし、それが上手く波に乗れるように慎重に針を落とした。ナガオカのダイヤモンド針は、予想通りじゃじゃ馬「エビータ」の溝をほんの一瞬足りとも捉えることができず軽々と弾き返された。何度も何度も。


まだ波打っているのがわかりますが


レコードをたくさん所有したことのある方はご存知かも知れないが、LPレコードは何枚も重ねると結構な重さになる。「エビータ」もレコードキャビネットの中で数十枚のレコードで漬ければもしかしたらいつか平らになり聴くことができるのではないか?せっかちな私にしては随分と悠長な考えを思いついたものだ。

約10年後...
気持ち波が穏やかになったか?(折しも元号は平成になったがまだまだ序の口。一応試してみたが無駄だった)

約20年後...
着実に状態はよくなって来てはいる(でも本当はもうあきらめてるので見ただけ)

そして...つい数日前に別の用事でキャビネット内をゴソゴソやっているときに偶然発見した「エビータ」は、驚く勿れ、歪みが当初より音楽劇的に矯正されジャケットからもスムーズに取り出すことができた。1.5mくらい離れれば、近視・老眼も手伝ってか真っ平らに見えなくもない。もう家にはレコードプレーヤーがないのですぐに試すことはできないが、これはひょっとすると......


いい感じになってきました



生きているうちに一度でいいから聴いてみたい。



Don't laugh at me, EVITA



2012/02/18

CD元年 Ⅱ

「CDを 聴くにはプレイヤ 必要です」
The chicken or the egg

私が初めてCDを買ったのは1986年のことである。CDという新しい音楽メディアがレコード屋の一角に姿を見せ始めた頃だった。結構新し物好きな私はこの、レコードがかなり小さくなったその名の通り「コンパクトディスク」を試してみたくなった。世間でも「これからはCD」と言っているではないか。

就職して経済的にも小康状態が維持できるようになったので新たにCDステレオを買うことにした。CD黎明期であったため、各メーカーのCDステレオはまだ出揃っておらず(CDウォークマンなどもちろんありません)選択の余地もあまり無かったが、見た目がかっこ良く、ソニーの子会社だった?アイワのCDコンポを購入。構成は、アンプ・CDプレーヤー・Wカセットデッキ・AM/FMラジオ・スピーカー、そして移行期だったためかレコードプレーヤーも付いていた。サイズは今のミニコンポと比べるとかなり大きいが、ちゃんとしたコンポよりもずっとコンパクトだった。価格は20万円くらいしたんじゃないかな。かなり奮発した。

(次の段落は読み飛ばして頂いて結構です)

ステレオを買っても家にCDがなければ意味が無いのでCDも手に入れなければならない。(そんなのあたりまえです)CDを買ってもそれを聴くステレオがなければ意味が無い。(それもあたりまだ)世の中上手くできている。順番としては、私のように先にステレオを買う方がどちらかといえば正当だと思う。


MIRACLE TOUCH by BREAD & BUTTER


CDコンポ購入にあわせて初めて買ったCDはブレッド&バターBREAD & BUTTERのミラクルタッチMIRACLE TOUCH。当時はCDを買うにもまだソフトの数が限られていた。聴きたいアーティストのレコードがCDに生まれ変わって発売されるのを気長に待っていなければならなかった。それが完了するまでに10年くらいかかったかも知れない。とりあえず知っているアーティストの作品から選んだ一枚だった。

ブレッド&バターは、私が高校時代の3年間の二人の会話の合計時間がおそらく3分未満だったであろう二つ年下の弟から大学生の時に薦められて聴き、ちょっと悔しいが結構気に入った日本人の兄弟デュオ。テレビの深夜番組「トゥナイト」のエンディングテーマだった「トゥナイト 愛して」や「あの頃のまま」(歌詞が身に染みる)「マンデイ・モーニング」などが有名な曲だ。軽快なリズム、優しい歌声、耳にスッと入って来て斬新さもある歌詞、センスを感じるおしゃれな曲が多い。最近買ったビクターの高級イヤホンで聴いていると、彼らのサウンドそしてレコーディングのクオリティーの高さにも気づかされる。彼らの曲は「湘南サウンド」と呼ばれているらしい。「ミラクルタッチ」は今はもう還暦を過ぎていらっしゃる岩沢兄弟のブレッド&バター後期の作品である。シンセサイザーを多用していて、それ以前の作品とはちょっと違ったサウンドに仕上げてあるが、そのシンセサイザーの使い方も上手くすてきな曲も多い。


今でも光り輝いています  iPhone4Sで撮影


CDはうわさ通りすばらしいものだった。リモコンでも操作できるし聴きたい曲にスキップ(音楽に合わせて軽やかに踊る、ということではありません)もできる。レコードのように、表面を黒板消しのようなもので拭いて埃を取ったり、静電気防止のスプレーをかけて手入れしたり(そうすると逆に雑音が増えた気がしたのでほとんどしませんでしたが)する必要もないし置き場所もとらない。レコードのような針と溝との物理的な接触がないため雑音も発生しないので音質もいい。列車に例えるとリニアモーターカーだろうか。(笑)もうレコードには戻れない。CDは買い続けると増えていく。この一枚で始まった私のCDライブラリは年々膨張を続け、遂に昨年聴いていないCDを大量に処分するまでに至った。


2012/02/15

CD元年 Ⅲ

「CDよ お前もか? 俺キリマンジャロ」
Forever Compact Disc

一昨日初めてネットで音楽を購入した私はもしかしたらもう既にかなり時代の潮流に乗り遅れてしまっているのかもしれない。

購入方法はアップルのiTunesストアからのダウンロード。まずiTunesカードというプリペイドカードを例によってヨドバシで買い求め意気揚々と家に帰る。PCでiTunesというアップルのソフトを開き、カードをスクラッチすると出てくる文字列を入力すると金額がチャージされる。モロンでギターを教わったイグナシオIgnacio de Amparoの名前を検索するとこのCDが表示された。弟のパコPaco de Amparoも参加している。アルバムは1,200円、一曲だと150円。少しだけ躊躇したがせっかくなのでアルバムにした。程なくダウンドード完了、と行きたいところだったが、ソフトのバグなのか将又(「はたまた」ってこう書くんだー)通信の障害なのか、すんなりと行かずかなりブルーに。アップルのサポートセンターに電話するも、クールなテープの声に営業時間の終了を告げられその日は諦めることにした。次の日再びトライしたら上手く行った。


左がイグナシオ 右がパコ 後ろが歌い手たち


何はともあれイグナシオ、そしてパコのギターが聴けてうれしい。でも、本当はソロが聴きたい。そして、フラメンコギターはやっぱりソレア、ソレアを聴かせてくれ。ソロアルバムも録音してたのではないかな? いつリリースされるのか、とても待ち遠しい。


早速iPhoneに入れて聴いています


CDというものが世に出てから早いものでもう30年近く経つ。それがアナログレコードに取って代わった時、いちいち「レコードジャケットから丁寧にレコードを取り出し、それをレコードプレーヤーにセットして慎重に針を落とす」(晩年はフルオートプレーヤーもありましたがずっと昔はそんな感じでした)などということをしなくてもよいとは「こんな便利なものはない」「昔はよくあんな面倒くさいことしてたな」などと思ったものだが、ネットで好きな音楽を聴くことができる時代になった今、改めて考えてみるとCDもレコードと基本的な原理はほとんど変わらないではないか。レコードやCDを手に取り、しげしげとジャケットを眺めたりライナーノーツを何度も読み返したりするのは楽しいことだったけれど、便利さではデータ配信という形に敵う筈がない。

音楽のメディアとして確固たる地位を築き上げ、そこに永遠に君臨するように思えたコンパクトディスクも、それほど遠くない将来、レコードと同様に過去の遺物となりマニアの間でのみ細々と生きながらえることになるのだろうか。 完


2012/02/05

A Comfortable Stay at

Sheraton Taipei Hotel, Taiwan

年末の休暇を過ごしたシェラトン台北はMRT善導寺駅のすぐそば、台北駅からも徒歩十分かからないところにあります。建物自体は築数十年経っていて、17階建てと超が付くほどの高層ビルでもありませんが、内装はきれいに改装されていて、一流ホテルなので当然ですが掃除もよく行き届いています。


桃園機場(空港)に到着

フルカラーはやっぱり華やか

green carts

yellow cars

黄色い花がお出迎え

日本からのツアー客が多いようです

落ち着いたインテリアのロビー 人は多めです

wifi zone

PCも何台かあり便利

ロビー階のBAR

これがエレベーター

カッコいいですね

動作もiPhoneの画面のようになめらか 東芝製かな?

Watch your step!!

main dining を見下ろす

昼間も賑っていました 地元の方も多いようです

kiwotsuketene


メインダイニングの上は最上階まで吹き抜けになっていて、客室のドアの前からメインダイニングを見下ろすことができます。開放感のあるこのスペースは、中華料理やステーキの食欲を誘う匂いや午後のケーキビュッフェの甘~い香りが部屋の前までほのかに漂ってくるのが、食後であっても特段気にならない方であればきっと気に入ると思います。


room  インターネット接続は有料です

初めて買った三脚も連れて行きました

SLIK SPRINT PROⅡ 3WAY

おつかれさま まぁどうぞ一杯やってくなはれ


館内は、インテリアや照明のデザインが優れているからなのでしょうか、どこにいても目に入る画が美しくて感心しました。部屋は十分に広くベッドも硬くて高級なものが使われていました。最上階には広い湯船を備えた清潔なスパもあり、宿泊客は自由に使えるのでほぼ毎日通いました。ゲストが多いせいか従業員の数もかなり多いように感じました。朝食のビュッフェは、料理の質、量、種類、すべて十分に満足できるものでした。朝食時にレストランで機敏に動き回る従業員の姿も印象に残っています。

台北にはシェラトンよりも新しくてよりゴージャスなホテルも多くあるようです。が、最近は安いホテルやホステルのドミトリーなどに宿をとることが多かった私にとって、ここシェラトン台北はとても居心地が良くて快適に過ごすことができるとっても素晴らしいホテルでした。