2011/02/28

Seeing Dieguito

One day, walking down the street to a park near the Peña El Gallo in Morón, I happened to see Dieguito (Diego de Morón) for the first time.

I was with Ignacio and his family then. At first, Ignacio found his uncle Dieguito walking alone on the other side of the street. He said to me, "Look! That is Dieguito." No sooner had I looked at the direction and recognized him than Dieguito was spoken to by someone, maybe his friend, and began to talk with him. So we did not step up to him and just left there. He was thinner and looked nicer than I imagined. He dressed in a casual jacket with his hair tied on the back. He was so cool.

I could not talk to him that day, but I was very happy anyway. I love his music as well as that of his uncle Diego del Gastor.

DieguitoはDiego del Gastorの甥である。私の中で一番のアーティスト、憧れの人である。滞在中に会えることを期待していたので、ちらっとだけだが姿を見ることができて嬉しかった。私は一ヶ月のモロン滞在中、イグナシオ・デ・アンパロ(Ignacio de Amparo、ディエギートの甥)にフラメンコギターのレッスンを受けていた。その日は土曜日で、午前中にレッスンがあった。レッスンの後、近くのスーパーEl Jamónに食料品を買いに行った時、スーパーの前でまたばったりイグナシオのファミリーと会い、一杯飲みに行こうと誘われてガジョ(Peña El Gallo)の近くの公園に行くところだった。ディエギートは・・・・かっこよかった。


Calle Diego del Gastor  ディエゴ・デル・ガストール通り



2011/02/27

我和吉他

2002年我在北京语言大学读书的时候,偶然要开始学习弹吉他了。有一天我和我的朋友某岛君去看看学校附近的乐器店。那家乐器店备有乐器教室。我们从来打算利用下课后空的时间一起学习个乐器。看了一遍乐器店里后,
某岛说,「サックス(萨克斯管)にしない?」
我回答说,「えーっ、サックスぅー?難しそうだしちょっと値段が高くない?」
我接着说,「クラリネット(黑管)は?ずっとやりたかったんだ。」
我看出某岛不同意的样子来了。
我们同时发声,「どうしよっかぁ(怎么办?)。」
然后我们又看了一遍店里,
忽然某岛开口说,「じゃあ、折衷案でギター(吉他)にしよう。」
虽然我不知道吉他怎么会成为个折衷方案,但是我终于同意了。我们立刻选了大约5,000日元的吉他,改天就开始学习了。

僕らが選んだ安いギターは、スチール弦のカットアウェイで今考えるとかなりお粗末なものだったけど、まじめな感じの楽器店店員兼ギター講師の王先生が初心者の僕らに根気強く教えてくれたので、指が少し痛くなる程度には練習した。王先生は定番の「禁じられた遊び」や「ホテル・カリフォルニア」のイントロを教えてくれ、その演奏に感激したのを覚えている。王先生のように弾けるようになりたいと思ったものだ。これが私とギターとの出会い、ちょっと大げさだが、言わば「モロンへの道」のプロローグである。かっこいー。

初めて買ったそのギターは留学から帰る前に、スケートボードが好きで、練習中よく転んで体中に擦り傷を作っていた(隅々まで確認したわけではありません。)同じクラスの韓国人の女の子に譲ってあげた。正確に言うと3,000円で売った。

数年前に懐かしくなってその楽器店を訪れたが、経営者も店の名前も変わっていた。王先生もいなかった。某島君はその後北京で日本語学校を経営、今は日本にいるらしい。


变脸(変面、中国四川省の伝統芸) 北京にて



2011/02/26

…そして帰国

いきなり”帰国”はないだろうと思うかもしれないけれど、実はもうモロンに行って2月15日に帰ってきてしまったので…。モロンの・・・の話は追々ゆっくりと。

では、なりふり構わず心躍る飛行機の話をするとしよう。帰りの飛行機はパリ経由のエールフランスにした。マドリードー成田の往復で7万円ちょっとと安かったのと、パリから成田の便が一度乗ってみたかった世界最大の旅客機エアバスA380だったから。日本発だと2~3万円以上も高いけれどなぜでしょう。さて、わくわくしながら搭乗したA380は期待が大きかったが故に、最初は少し期待外れかなと思った。ビジネスクラス以上だったら他の機種との差があったのかもしれないけれど。エコノミーの座席の前後の間隔はむしろ狭いと感じた。明らかに行きに乗ったKLMのジャンボの方が余裕があった。でも航空会社によって座席数や配置も違うので一概にA380の評価をすることはなりませぬ。座席幅は若干広かったかな。座席の配置は3・4・3、ジャンボと一緒であるが、通路やトイレ、トイレ周辺のスペースは従来の旅客機より随分広かった。新鮮だったのは、座席の前に付いた液晶モニターで飛行している自身の姿をリアルタイムで乗客に見せてくれることであった。垂直尾翼の高い位置にカメラが付いているのだ。初めはモニターに映る飛行機が今自分が乗っているものだと判らず、それが判ると同時にもの凄く感動した。肝心の乗り心地はというと、安定感があり揺れがほとんどなく非常に快適なフライトであった。また、エールフランスのサービスは従来通りとても感じがよくて満足できたし、機内食は牛肉を選んだらマスタードソースがとてもおいしかったので、今回のフライトに得点を付けるとしたら90点をあげたい。

帰国当日は、モロンのアパートを出てから20:00発の最終バスでセビージャへ。時間をつぶしてから深夜バスに乗り、6時間かけてマドリードへ到着。10時過ぎのフライトまで時間に余裕があったので空港までは地下鉄を利用。計15時間ほどのフライトで成田へ。成田からは高速バスに乗り無事帰宅。Door to Doorで34時間の長旅でさすがに疲れた。一ヶ月半ぶりの日本は寒かった。エアバスから見たシベリアはもっと寒そうだった。


でかい!けど決してジャンボと呼ばない

上は2階キャビンへの専用通路
2階は日当たりがよさそうです

バルト3国のリトアニア辺り うぅっ寒そう


Diego del Gastorとの出会い

ディエゴ・デル・ガストール(1908~1973)はモロンのギタリスト。フラメンコギターの奏者である。彼の音楽との出会いはたまたま見たyoutubeだった。おそらくフラメンコギターを始める前だったと思う。白黒のビデオで、おじいさんが5,6人に囲まれてギターを弾いていた。「これは一体何者だ?これもフラメンコか?」フラメンコギターについて持っていたイメージ、ステレオタイプからはかなり違った演奏だった。ゆっくりとしたリズムであるが時折聴かせる力強い骨太の音。聴いて行くうちにその絶妙な間、哀愁や妖しさが漂うメロディー、トリッキーな演奏に徐々に惹き込まれていったのである。その時のビデオは多分このソレアでしょう。つづく



ペーニャ エル・ガジョにて






2011/02/24

现在开始

Just begun to be a blogger.
I like listening to music, especially flamenco guitar these days. I started practicing flamenco guitar a couple of years ago. It's not easy and I struggle everytime I play it. My dream is to be able to play the guitar like Diego del Gastor, his nephew Diego de Morón and his nephew Ignacio de Amparo, who is my teacher in Morón de la Frontera.


My flamenco guitar by Andrew Smith in Jerez 

simple and beautiful shape
clear and pure sound of wood
I love the guitar