2011/09/23

Katakai Festival 3

昼の2時に上がる三尺玉も見ると言うので、その前に会場の浅原神社に着くようにホテルを出た。花火大会が終わるのは夜の10時。昼の花火ってどうなの?何もそんなに早く行かなくてもさー。あ~、長い一日になりそうだ。

昼の花火はパステルカラーだった。まあきれいだけど、やっぱり普通花火は夜でしょう。


这大概是三尺玉

白天的烟火  原来是这样子的


神社の境内では昼過ぎから相撲が始まった。大相撲は生で見たことはないし、奉納相撲を見るのも初めてだった。下は中学生から上はおそらく60代くらいのおじいちゃんまで参加していた。取り組みの前には、参加者の苗字と出身地、実績があればそれも紹介されていた。地元新潟出身の方がほとんどで、中には国体の代表選手だった人も数人いた。参加者の中に青いまわしを付けた立派な体格の若者が大勢いて目を惹いた。新潟海洋高校相撲部とアナウンスされた。聞き覚えのある学校名だった。たまたまテレビで見た相撲のインターハイに出ていた学校、としばらくたって気が付いた。かなりの強豪校だ。皆見るからに逞しい。この新潟海洋高校、またまたたまたま昨日もテレビで特集をやっているのを目にしたのは近々何か素敵なことが起こる前兆と考えよう。

トーナメントの前に、稽古としての取り組みや、三人抜き五人抜きなどが時間をかけて行われた。屋台にお好み焼きを買いに行く時間も惜しいと思うほど、初めて間近で見る真剣な心と体のぶつかり合いに、私の目は正に釘付けになった。ごまかしのきかない力と力のぶつかり合い。今目の前で行われている相撲を表現するのピッタリな言葉をたくさん探したい気持ちになった。真剣、素朴、純粋、簡潔、豪快、我慢、華麗、潔い、爽やか、大らか、そして相手に対する尊敬。素敵な言葉が次々と浮かんできた。まだまだ出てきそうだ。素晴らしい相撲を見せて下さった方々に感謝します。


見ているこちらも思わず力が入る


トーナメントで上位3位が決まり、いよいよ三つ巴の決戦。タナカが勝てば優勝の一番。相手は海洋高校のムラマツ。インターハイ3位の貫禄がある。

「逃げるなよ!」
野次が飛ぶ。
緊張の立ち合い。タナカが左に身をかわす。ムラマツ意表を突かれ少しバランスを崩すが、すぐさま立て直しタナカに向かって突進。ここで勝負は決まった。
「だーから逃げるなってったじゃねぇか。」
嫌みのない叱咤だ。観衆のやじはストレートだが温かい。
「すみません。負けちゃいましたー。」

タナカはその日の奉納相撲をコミカルな立ち振る舞いで(悪ふざけではない)大いに盛り上げていた。楽しくて頼もしい若者だ。相撲の実力もかなりのものだ、と素人でも分かる。見ていた誰もがその名前を覚えて帰ったに違いない。トーナメントの結果は、ムラマツ優勝、タナカ準優勝だった。

力士も観衆も一体となった奉納相撲。土俵の周りはのどかで心地よく、始終とても善良な雰囲気に包まれていた。おかげで蒸し暑さや旅の疲れも吹き飛んだ気がした。思わず貴いものを見ることができて非常にラッキーだった。早く来て大正解。さあ、お目当ての花火大会の開始時刻も近づいて来たかな~って、7時半まであと5時間もあるの?


You are the Hero of the Day

 
Winner, a high school student


Katakai Festival 2

Arriving at Asahara Shrine in Katakai where the festival is being held, we just walked along the street in front of the shrine with lots of stalls on each side of it until the fireworks display in the afternoon began. They had a very big one what is called San(3)-shaku dama (90cm shell), also in the daytime. The much bigger (biggest in the world) one called Yon(4)-shaku dama (120cm shell), which weighs 420kg, was to be seen at 10 o'clock at night, which create an illumination of 800 meters in diameter in the sky.  They say the fireworks were originally votive offerings made to shrines by the people of Ojiya.


main street of Katakai


Yon-shaku dama

dedicator, and size and numbers of fireworks


I had not known that a sumo-tournament was also held in the festivel. It is called Hono-Zumo, which means sumo-tournament to be dedicated to gods of the shrines. I was extreme-really moved by the amature westlers' performance. It is not a sport. It is not a game or a fight, either. I think that if you had been with us in Katakai, you could have had the same feeling as I had.


ritual sumo matches at the shrine
beyond the trees are reserved seats for fireworks viewing


simple and beautiful


2011/09/20

Katakai Festival 1

I took a Joetsu Shinkansen train, Max Toki, to Nagaoka in Niigata on a Friday evening. The only purpose of the trip was to visit Katakai in Ojiya city to see the fabulous fireworks of the festival. I checked in at a hotel, walked to a nearby restaurant, had dinner there, went back to the hotel, waited for some friends to arrive in a vehicle and went to bed. The next day, we were in Katakai before noon.

good looking

have two stories

Restaurant Nakata

I like curry and rice
especially like it with pork cutlet


2011/09/19

Nikon COOLPIX P300

 さっき、新しいデジカメを買った。

今のカメラは画素数600万、手ぶれ補正の機能も付いていないが、5年近くも本当によく働いてくれた。

さすがに最近はバネの寿命か、押したシャッターボタンが戻らない時があったり(極たまにね)、レンズは収納の時にギクシャクした音が出たり。

そ・れ・に…気づけば性能はかなりout of date(笑)、(クールなデザインは今でも新鮮だ)
で、 そろそろ買い替えようかと。

買ったのは初めて使うメーカーなのでちょっとかなり冒険だった。

そして、私が初めて所有したデジカメ、FinePix F410 は下取りとしてヨドバシカメラのお姉さんに引き取られた。かわいい奴だった。(お姉さんではなくデジカメのことです)


cool guy

you, too


Canon IXY DIGITAL 70
Let's just keep in touch!


2011/09/17

ANGEL

一発屋(英語では one-hit wonder と言うらしい。)シリーズ。何回続くかわからないが、堂々記念すべき第一回目に選ばれたのは…エンジェルANGEL。曲は'That Magic Touch'。

そのバンドのこの曲はその当時結構耳にしたヒット曲だ。ルックスからすると、アメリカのややアイドル系のロックバンドという感じだった。バンド名も忘れかけていたけれど、Youtubeで探すと…さすがYoutube、何でもあるねー。そうそうこの曲、懐かしい。数十年ぶりに聴いたけど、'So they say'なんていう歌詞の部分はしっかり覚えてる。覚えやすいポップな曲でまずまず気に入っていた。彼らのLPが手に入り、「他にいい曲あるかな?」とかなり期待しながらレコードプレーヤーに針をそっと置いた。結果はとっても期待外れ。呆れるほどつまらない曲、上手い素人よりはるかに下手な演奏。ここまで酷いものもなかなか珍しいので、今となっては褒めたいくらいだ。そのLPは敢え無くお蔵入りとなり、そのうち彼らの曲はラジオやテレビでも流れなくなった。

今聴いても結構いいじゃん。(続けて2回聴いたら飽きたけど。)
この一発、きっと一生忘れられないだろうな。


long time no see

cool!

ANGEL-That Magic Touch


2011/09/16

中秋节

日本の漢字だと「中秋節」、中国では春節(旧正月)、端午節とともに三大節句の一つである。旧暦の八月十五日、太陽暦では今年は9月12日だった。この時期の満月(十五夜)は一年で一番美しいらしい。北京留学中、中国の友人が、「知ってる?中国では、中秋節はお正月の次に大切な祝日で、その日の夜は家族みんなが集まって食卓を囲んで楽しく食事をするの。」と教えてくれた。その年北京で迎えた中秋節の夜、下町の雰囲気を残すお洒落なスポットである后海辺りは、月見を楽しむ人が多く出て、レストランも大賑いだった。普段はそんなことないのだが、その日は何軒ものレストランに満席のため入店を断られた思い出がある。日本は月見団子、中国では月餅である。中秋節の一ヶ月以上も前から様々な種類の月餅が食料品店の店先に並ぶ。大きいものは食べ応えがあり、一つ食べるだけで十分満腹になる。高級なものは皮もしっとりしていて餡も美味しい。


月饼代表我的心



先週、花火大会の会場で月を見て、中国の中秋節のことをふと思い出した。

two nights to full moon

2011/09/12

Bought a ticket to the West Coast 5

しばらくしてサイレンを鳴らしたパトカーが私とアウトローたちの間に割って入った。待ってました、強くて優しいアメリカのおまわりさん。心から頼りにしています。車を降りた二人の警官が、フルオープンにしたパトカーのフロントドアの陰に跪き、拳銃を構えて彼らに向かって叫んだ。「手を挙げろ!」生で見ると迫力が違うなー、などと感心する余裕ももちろんなかった。この場を離れ一早くホテルに帰りたい。そのとき頭に浮かんだ妙案は、「おまわりさんに頼めば、深夜、異国の危険な場所で道に迷い恐怖に慄いている、見るからに善良な日本人をパトカーでホテルまで送ってくれるかもしれない。」という考えであった。しかし、こんな場面でどこの馬の骨かわからない奴が下手に背後から話しかけたら、逆に、緊張して勤務中のおまわりさんの一瞬の誤った判断で撃たれてしまうかもしれない。それを恐れた私は、スティックスのミスター・ロボットの歌詞を参考にして考え付いた「ドモアリガットミスターポリスマン、マータアウヒマデー、ドモアリガットミスターポリスマン、ボクーラーハトモダチー」作戦は止めにして足早にその場を立ち去った。

もはや、自分がどこにいるのか、ホテルはどっちの方向なのか全く見当がつかない。ロサンゼルスのダウンタウンは坂道が多い。重力に逆らって歩き出せるほどの気力は残っていなかったので、下り坂をとにかく急ぎ足で歩いた。高い建物が徐々に減り、寂しい場末のナイトクラブ街のようなところへ迷い込む。後十数分で日付が変わる。タクシーを探して何度も何度も同じ場所を彷徨う。(さまよう、ってこう書くんだー。)遠くの方にタクシーの明かりが見えたが、こちらに来る手前の交差点で曲がってしまった。たまに目の前を通るタクシーは実車ばかりだ。スタジアムを出てから恐ろしく長い時間が過ぎたように感じたが、実際はせいぜい一時間半程だっただろう。憔悴しきった私の、深夜0時の流涙確率80%の両眼が、タクシーの色・形をした一台の車を捉える。有り難いことに、そして信じられないことに、それは本当のタクシー、しかも空車であった。「いくらお金を積んでもに構わない。」そんな気持になった。後部座席に乗り込み運転手さんに行き先を告げた。普通の運転手さんらしい言葉が返って来てようやく体中の力が抜けた。ホテルは拍子抜けするほど近かった。運賃は5ドル程だったと思う。

運転手さんによると、「これでもダウンタウンは10年前に比べたらずっと安全になった」らしい。次の日、ビバリーヒルズやユニバーサルスタジオ、そしてハリウッドのあるロサンゼルスに別れを告げ帰国の途に就いた。完


完成度の高い、いや完璧な曲だ

Billy Joel-Say Goodbye to Hollywood


Bought a ticket to the West Coast 4

2008年、ビリー・ジョエルの歌の歌詞さながら?仕事を辞め、(家は売っていない)、ウエストコーストへの航空券を買った。

初夏、ドジャー・スタジアムで大リーグの試合を観戦。試合が終わった時には夜の10時を過ぎていた。ホテルに帰る交通手段はタクシーかバスだ。ここのスタジアムへは車で来るのが一般的である。試合が終わると駐車場へ向かう人々がスタジアムの出口から溢れ出す。足早に球場の出口に向かいタクシーを探したが空車はない。予約していなければ空車を見つけるのは難しいことをその場に及んで学んだ。ダウンタウンへ行く路線バスがあるのは分かっていたのでバス停へ。ホテルの近くまで行くバスはないことはホテルのコンシェルジェに訊いていた。とりあえずダウンタウンまで行こう。しかし、バスもなかなか来ない。スタジアムのある丘を歩いて降りて行く人も結構いたのでその一行について行った。途中でバスが来たら乗ろう。

LAの夜のダウンタウンは一人で歩くべき場所でないことは以前来た時に学習済みだった筈だ。たとえそれが天下のご意見番、大久保彦左衛門であっても。また、アメリカプロレス界のかつてのスーパースター、「スーパースター・ビリー・グラハム」でも身の安全は保障されない。もちろん、さすがの私もその時はこんなくだらないことを考える余裕はなくなっていた。何十分歩いたことだろう。焦りが疲れに拍車をかける。ようやくダウンタウンに行くバスが来て乗る。しばらく乗って適当なところで降りる。

建物はたくさんあるが人はほとんど歩いていない。周囲には危険な雰囲気が漂う。ホテルまでは数百メートルの距離だと見積もった。しかし地図を見ても方向が分からない。途方に暮れ始めたその時、十メートルほど離れたところで、酔った男二人が訳の分らぬ叫び声をあげながら喧嘩を始めた。ホームレスか泥酔者かドラッグ常習者、あるいはその全てか?一人が絡むともう一人が手に持った鉄パイプを振り上げて襲いかかろうとしていた。近くを見渡してもほとんど人がいないし、いても皆普通でない感じの人に見える。「恐怖」という言葉の意味を解説するのに最もわかりやすいシチュエーションの一つだ。動き出すこともできず、その場に茫然と立ちすくんでいた。つづく


My best choice of 'My Life' in YouTube


2011/09/04

Bought a ticket to the West Coast 3

大学の時に選択科目でアラビア語をとった。あまり人がやってそうにない外国語を勉強してみたかったからだ。しかし、あの独特な文字に親しみを覚える前に授業に行くことを放棄してしまった。挫折した理由は、私がそのとき未だ、それまでに学んだことのあるものとかなり異なった外国語をスムーズに学べる時期に達していなかった(成熟していなかった)から、だと推測できる。(オマエ、その前に他の授業もあまり出席してなかったし、2年目にはほとんど授業に出てなかっただろーが)。簡単な挨拶だけは今でも覚えている。「サバーヒルヘイル」=こんにちは、「ショクラン」=ありがとう

ある日、語学学校の午前の授業を終えて食堂に行くと、アラブ系の顔立ちの男子留学生が近くに何人かいて目が合った。年齢は二十歳くらいか。

「どこから来たのですか?」
「日本ですよ。あなたたちは?」

一人が中東の国の名前を答えた。それがどの国だったか今は覚えていない。ここは知っているアラビア語を使う場面である。日本人がアラビア語?彼らはどう思うだろうか。

「サバーヒルヘイル!」

「驚き」と同時に「親しみを込めた眼差し・笑顔」を高確率で期待した。「驚き」は当たっていたが、その眼差しは警戒心を帯びており、笑いは引き攣ったものだった。

別の日、大学の近くにあるファミリーレストランに彼らがいた。いつも3、4人一緒に行動している。彼らが他の国の留学生と談笑している姿を見かけたことはない。仲間同士の会話の声は小さめで、おしゃべりを楽しむ若者グループには見えなかった。私たちは笑顔で挨拶を交わしたが、お互い打ち解けることはなく、その後顔を合わせる機会もあまりなかったように記憶する。

2002年、前年にあった同時多発テロの実行犯に関するニュースが目に留まった。実行犯は、「アメリカ西海岸の語学学校で英語を学び、その後同じく西海岸にあるパイロット養成学校に通って航空機の操縦技術を学んだ」という。まさか彼らの中の誰かが…などということはあるまい。つづく

2011/09/03

Bought a ticket to the West Coast 2

ロサンゼルスの短期留学中に、生まれて初めて大リーグの試合を見に行った。球場はドジャースの本拠地であるドジャースタジアムだ。好天に恵まれた(大体いつも晴れてたけど)その日、日本人の留学生10人くらいでレンタカーに分乗しスタジアムへ向かう。当日券を買うためにチケット売り場へ。みんなで話し合って、内野の3階(結構上の方)の席に決める。確か11ドルだったと思う。日本よりかなり安い。エスカレーターに乗って3階席へ。階段を上ると芝生のグラウンドと鮮やかに彩られた観客席が眼前に広がる。綺麗だ。選手が試合前の練習をしている。子どもの頃、川崎球場に大洋ホエールズの試合を見に行き、球場に足を踏み入れた瞬間と同じように胸がときめいた。生ビールと名物のドジャードッグ(ドトールのジャーマンドッグの方が美味しいよ)を味わいながらプレイボールを待った。



Hotdog stand

Dodger Dog


試合が始まった時はまだ空席が多かったが、時間が経って気づくと観客も結構増えていた。相手チームはどこだったか忘れたけれど、その日は激しい打撃戦で、途中からはホームランが多数飛び交う大味な試合になった。アメリカ人は家族連れが多いようだ。子供達をボールパークに連れて来て家族みんなでベースボール観戦を楽しんでいる。本当に心から楽しんでいるのが自然と伝わる。日本のように、耳障りな管楽器・打楽器の音や応援歌の合唱、目障りな旗振りやタオルくるくる回しなどは一切ない。盛り上がるべき時には自然と球場中に大歓声が轟く。球場の雰囲気がとってもいい。私は日本のプロ野球の五月蠅い応援にうんざりし、ある時からほとんど球場に足を運ばなくなった。アメリカ人はスタジアムの雰囲気を楽しみに来ている感じだ。もちろん自分のお目当ての選手が活躍したり、贔屓にしているチームが勝てば気持ちがいいが、そうでなくとも誰もが十分にエンジョイしているように見えた。そして日本と違うのは、ある時間になると試合途中でも球場を後にして帰宅の途につく家族が多いことだ。おそらく子供達に配慮してのことだろう。その日は、僕たち日本人留学生一行も、大リーグ観戦を十分に楽しみ、ゲームセットを待たずに大学に戻った。



Dodger Stadium 2008


さて、その日はホームランがバカスカ出すぎて緊張感のない試合ではあったが、ある選手がバッターボックスに立つと毎回ひと際大きな歓声が湧きあがっていた。その選手は、後から知ったが、ドジャースのルーキーで四番打者のキャッチャー、マイク・ピアザMike Piazzaだった。とにかく物凄い人気で、その日もホームランを打って活躍していた。野茂英雄Hideo Nomo投手がドジャースに入団し、ピアザとバッテリーを組み大活躍するのはこの2年後のことである。

3年前、15年ぶりにドジャースタジアムを訪れた。話しかけてきた中年のアメリカ人は野茂のことをよく覚えていて懐かしそうに話していた。一緒にいたティーンエイジャーの少年は既にその名を知らない世代だった。つづく

Bought a ticket to the West Coast 1

記録によると、1993年の夏、私はアメリカのロサンゼルスに語学留学した。学校はロサンゼルス郊外にある大学の敷地内にあった。キャンパス内にある大学のドミトリーに二週間滞在し英語を勉強した。目の前に広がる緑の芝生やスペインほどきつくない色の青空が作り出す、のどかなそして開放的な雰囲気は、私がアメリカの大学に持っていたイメージにほぼ合致した。

留学プログラムの初日はクラス分けのためのペーパーテスト。3、40人くらいの留学生が一教室に集められた。留学生の出身国は、日本・アジア諸国・ヨーロッパ諸国など。日本人が一番多かったように覚えている。
テスト開始。そのテストで人生が決まるわけではないが、こういう時は少しは緊張して真面目に取り組むのが一般的だと思っていた。開始後しばらくしてイタリア人の20歳くらいの男の子二人がヒソヒソ話し始めた。どうやら一人がもう一人に答えを聞いている模様。監督の黒人女性の先生が注意する。注意されて少し自重していた彼だが、しばらくしてまたコソコソやっている。というかその教室の全員が気づくほどあからさまだった。先生も驚いたようだったが、興奮を抑えるように落ち着いた声で再び注意。

先生 「あなた、私の言ったことがわからないの?人に訊いてはダメ。自力でやりなさい。」
イタリア人の男の子 「だって…全然わからないから友達に教えてもらってるんです。」

そう来るか、イタリア人。先生唖然。私も他のみんなも唖然。当の本人には悪びれた様子が少しもない。そのイタリア人の男の子は「自分は文法は苦手でテストはできないが話す方は大丈夫なので友達と同じ上級クラスに入りたかった」のだ。

全然わからないから友達に教えてもらってるんです

その時は「ふざけた奴」と思ったが、今考えてみると、ある意味大変素直な答えじゃないか。カンニングが見つかった日本人の口からは決して真顔で発せられることのないセリフだろう。彼は決してふざけていた訳ではないのだ。その後仕方なく注意を聞き入れカンニングをやめた彼は中の下のクラスに振り分けられたが、先生に頼んで二日目には友達と同じ上のクラスに移ってきた。そして自分の言葉通り、授業中、文法的な細かなミスに臆することなく、クラスの他の誰よりも積極的に話していたのだった。


Dodger Stadium