2013/02/17

日本のPIANO

YAMAHAとKAWAIは言わずと知れた日本の2大ピアノメーカーである。この2社はどちらも静岡県浜松市中区に本社がある。ウィキペディアに拠ると、ヤマハ(1887年の創業時は山葉風琴製作所、のちに山葉楽器製作所、日本楽器製造→現ヤマハ)の創設者は山葉虎楠(やはまとらくす)と言う人で、そこで働いていた河合小市(かわいこいち)という人が独立して1927年に設立したのがカワイ(河合楽器製作所)だという(ヤマハもカワイも創業者の苗字だったのですね)。

西洋の技術を学び日本製のピアノを作り上げた方々のチャレンジの日々、きっと想像を絶する大変な作業だったに違いない。こちらは彼らの偉業をを偲ぶだけで心が踊り、ピアノに触るときも楽しさやちょっとした厳粛さを味わうことができる。この2社の功績は、ピアノを始めとする楽器類を製作しただけでなく、音楽教室を通して(もちろん製品を売るためではありますが)音楽を日本全国に普及させたことである。そしてそのおかげで日本には数多くの優れた演奏家が育ち、また、プロとは行かないまでも、ちょっと探せば「ピアノが弾ける人」が周りに一人や二人いるという、考えてみると信じられないような社会を作り上げたのである(世界中で他にこんな国ってあるかなー?)。


河合滋さん


発表会で弾いたのは教室のロビーに展示してある光輝くグランドピアノ。河合家に婿入りし社長となり、「世界一のピアノづくりに生涯を捧げた」(このピアノShigeru Kawaiのパンフレットより)河合滋(かわいしげる 2006年没)の名が付けられている。軽いタッチでとても弾きやすく、落ち着いていてきれいな音がする。計ったことはないが、カワイのピアノの鍵盤はヤマハのよりも高さが低い気がする。それが弾きやすく感じる原因かもしれない。ピアノの音色について言うと、個人的にはヤマハよりカワイの方が以前から好きだった。「ヤマハのピアノは明るくてカワイは落ち着いてしっとりとしている」と言われたりもする。ロト6が当たったらShigeru Kawaiとそれを収納できる一軒家を買おうと思う。


見た目もエレガント

ピアノは眺めるものでもあるのでしょうか

日本の職人のクラフトマンシップだけはパクレません


2013/02/11

ピアノの発表会

ピアノの発表会に出るのは本当に久しぶり。以前2、3度出たときの演奏は惨憺(さんたん)たるものでした。緊張で手が震えて演奏が途中で止まる。弾き続けようとして楽譜を見ても、どこを弾いているか分からないし、たとえ分かって音譜を見たとしてもすぐには弾き始められない(私は楽譜を見ながら弾くことができない)。要するに頭が真っ白になってしまうのだ。原因はいくつか考えられる。

①練習不足  
あんまり練習しなかったからなー これが一番の原因でしょう
②集中力不足 
人前で上手く弾いていいところを見せようと言う邪念が頭をよぎる
③経験不足  
何でも経験 場数を踏んで慣れるしかないでしょう

こんなこともあった。発表会でカーペンターズのClose to Youという素敵な曲を弾いたときのことだ。
「チャーンチャーカ チャーンチャーカ チャカチャカチャンチャカ チャーンチャカ チャーンチャカ チャーン」
イントロは上手くいった。これで「掴みはオッケー!」と思った瞬間手が震え始めた。あとは途切れ途切れで正に修羅場、なんとか終わりまで漕ぎ着けた時には心身共に疲れ果ててへろへろ(あるいはヘトヘト、メロメロ)状態に。演奏を楽しむ余裕はゼロ。聴いている方も辛かっただろう。

以前の反省を踏まえ、今回は発表会に向けてちゃんと(少しだけど、前よりは)準備をした。
①練習をする
曲を覚えて間違いなく弾けるようにする
メトロノームを使ってテンポをキープできるようにする
間違えやすいところを繰り返し練習する
エンディングは大事なので慎重に弾く習慣を付ける
発表会の二週間程前から、時間は短くてよいので毎日練習する
発表会と同じ時間帯に弾く

これらは最初から全てを決めていた訳ではなく、当日が近づくに連れ頭に浮かんできたものもある。

②「このように弾こう」という心の準備
「自分のピアノを聴いて頂くのだ」という気持ちで「最後まで大切に弾こう」
「自分をさらけ出そう」
「猫背にならないよう背筋を伸ばして弾こう」

これを心がけた。

発表会は昨日でした。場所は家からエレベーターと徒歩で3分のところにある某音楽教室のロビー。発表する参加者は20名程。開演の前に飲み物やおつまみ程度のお菓子が振る舞われる。徐々に緊張するかと思ったがそうでもなかった。「どうせピアノの前に座ったら緊張するだろう」ということは経験上予想できた。

ビンゴで自分の番号が出ていよいよ出番、すぐさま席を立ちピアノの前に座り、ひと呼吸置いて弾き始める。

①をほぼ実践し②の気持ち・姿勢で演奏に臨んだ結果、まずまずの演奏ができたと思う。もちろん、練習の時ほどリラックスして弾けた訳ではなかった。途中、緊張で手が固まりかけたけれど、そのときは意識的に呼吸に気をつけて落ち着くことで、最後まである程度自分の演奏をコントロールして、無事二曲弾き終えることができた。とりあえず緊張から解放されホッとする。満足と言うにはまだほど遠いし、「もう少し感情を入れて大胆に弾けばよかった」と終わってから思ったりはしたが、以前の演奏と比べたら雲泥の差だったので素直にうれしかった。私以上に気を揉んでいたであろう先生にもお褒めの言葉を頂いたのもうれしかった。先生、ありがとう。

老若男女、初心者から上級者まで参加した、小ぢんまりしていて和やかな雰囲気の発表会を心から楽しんで、晴れやかな気持ちで家路に就いた。



このピアノ とてもいいです



やっぱり何でも準備することは大切ですね

「備えあればうれしいな」

って言うじゃあないですか


つづく


エリック・サティ Eric Satie

他の人の何も意図しない一言に、やはり何気なく触発されて行動を起こしたことはありませんか?

「あっ、この曲、ドラマでも使われてた。なんて言う曲?」
「ジムノペディですよ。サティの。」
「事務の...サティってスーパーの?」

ジムノペディNo.1が流れていたときに同僚の口から発せられた言葉が、思い起こせば、私が去年ピアノの練習の再開するきっかけだった。「そういえばこの曲はずっと前に習って一度弾けるようにはなったなぁ」「ほとんど忘れちゃったけどもう一度弾けるように練習しようか」と思い立ち、家に帰って(その日じゃないかもしれないけど)楽譜を探した。

Eric Satie 1866-1925


原曲をアレンジして簡単にした楽譜を見つけた。思い出すように少しずつ弾いていくと少しずつ思い出した。簡単にアレンジしてあるので弾くのも簡単だ、けどつまらない。原曲の楽譜を見つけてチャレンジすることに。一から譜読みし直すのは根気がいる作業だけれど、前に一度やったことがあるのと、何と言っても、「この曲をうまく弾けるようになりたい」という気持ちがこのプロジェクトを推進する上で一番の原動力であった。

毎日のように練習して譜面の最後までたどり着いた。少しずつだが弾けるようになるにつれて練習が楽しい時間になっていった。いろいろなピアニストの演奏を、YouTubeで見聴きしたり図書館からCDを借りて来て聴いたりした。十数年ぶりにピアノ教室に通い始めたのはこの頃だ。素敵だなと思う演奏はいくつかあったが、その中でもイタリアのチッコリーニAldo Ciccolini演奏は他の人と違っていて惹かれる。軽め(実際はそうでもないよう)のタッチで速めのテンポ(聴いていると感じないが一緒に弾くとよくわかる)、テンポの変化・揺らぎ・強弱。とってもおしゃれだ。


若き日のチッコリーニ Gymnopédie No.1


最近のチッコリーニ Gymnopédie No.1
若い頃の演奏と比べることができます


Gnossiennes No.1  by Alexandre Tharaud COOL!


その後、ジムノペディとともにサティの有名な曲であるグノシェンヌGnossiennes(No.6まである)のNo.3にスッポリはまってしまい、アマゾンで楽譜を購入し練習した。フランスで活躍したサティだが、彼の曲といえば、フワフワした、少し間の抜けたような、人の意表をつくような、そしてちょっと(「かなり」の義)怪しげな曲が印象的で、それらが私を含めた一般の人の知るところであろう。他のクラシックのピアノ曲とは感じが違い、そこが魅力である。ジムノペディやグノシェンヌは私のような素人でも弾くことができるのも魅力だが、それを上手く弾くのはとても難しい。


そして昨日は十数年ぶりのピアノの発表会でした

曲目はサティのグノシェンヌNo.1とNo.3

つづく


2013/02/04

Diego de Morón 「ディエゴ・デ・モロン」

2008年の秋にグラナダのレコード屋(レコードはほとんど売っていないからCDショップかな)で、このCD「ディエゴ・デ・モロン」を買うまで彼の名前すら知らなかった。彼の叔父のディエゴ・デル・ガストールのCDを探していたが無かった(普通無い)。が、店員が「彼の甥のならあるよ」(おそらくそう言ったのだろう)と言って教えてくれたそのCDを買って意気揚々とピソ(アパート)に帰った。

聴いた第一印象は、

なんだこれ
フラメンコギターでは普通使わないドラムやシンセサイザーが入っていてかなり変
叔父のようなギターを期待していたのにちょっとがっかりだ など

一応MP3ウォークマンに入れはしたが、全曲をじっくり聴いて正当に評価されることなく、この名盤はしばらく不憫にも放っておかれた。不憫だったのは自分だと気づいたのは、スペイン国内を長距離バスで移動中に、何も期待せずにこのCDを流して聴いていたときだった。

叔父の演奏とは違うが...

もしかしたら...

いや、これは間違いなく...

「すごい」

その一言だけだ

1977年に発売されたこの作品は、私の知る限り、ソロの曲だけできちんとレコーディングされたアルバムとしては彼の唯一の作品である。そして、インターネットの通販で手に入る彼の唯一のCDであろう。迫力と繊細さを兼ね備えた彼のギターが、デタラメではなく「絶妙な間」と感じられるのは、聴く人のグルーヴと確実にシンクロしているからに違いない。因みに1977年と言えばEaglesの「ホテル・カリフォルニア」やABBAの「ダンシング・クイーン」が流行っていた頃だ。

このアルバム、初め、かなりの違和感があったドラムやチープなシンセサイザーも、聴いて行くうちに彼のギターの邪魔ではなく、いつの間にか「うまく融合している」と感じるようにもなった。(これには異論もあるでしょうけど)

聴き始めた頃はソレアやアレグリアスが好みだった。しかし、毎日のように聴き込んでいくと、CDの後半に向かうほどすごい演奏になって行くと感じた。

フラメンコギターやギターそのものを聴かない人だけでなく、ギターの演奏を聴くのが好きな人たちにもこのCDを聴いてもらったとして、さてどう感じるだろうか? 興味深い。


聴き始めると毎回彼の世界に引き込まれて行きます


Granada to Madrid

Madrid to Salamanca

Sevilla to Lisbon


長距離バスの中で飽きることなくホントによく聴いた



YouTubeで聴くことができる曲もありました

1曲目 ブレリア Bulerías



3曲目 アレグリアス Alegrías



ディエギートのギターについて書きたいこと

他にもいろいろあるけれど

もう寝ないといけないので今日はこのくらいにします