2011/03/18

过了一个星期

东日本大地震后已经过了一个星期了。据报道,好几十万个灾民正在被迫过着非常艰苦的生活。苦于饥饵,寒气和恐怖。只希望他们能坚持到现在的情况好转一些,生活过得安宁一些。我们的心一直在你们的身旁。请再坚持一下。没有没黎明的夜,是吧。全世界还祈望核电站的问题早日结束。我期待领导人掌握而公开正确情况,听专家的意见来出险。真是争分夺秒。衷心地感谢有关部门人们的奋斗,也祈祷他们的安全。目前我只不过静观事态而祈祷。

地震から一週間経ちました。被災者の方々にお見舞いを申し上げるとともに、被災者の方々がこの苦境を脱し、できるだけ早く不安のない生活に戻れることを願っています。
首都圏に住む人の多くは、原発の状況を憂いながら計画停電による多少の不便と混乱を被っていますが、依然平静さを保っているように見えます。今私にできるのは落ち着いて状況を見守ることだけかも知れません。

2011/03/12

Earthquake

A massive earthquake hit us yesterday. It was the biggest one I've ever experienced in my life. This part of Japan was hardly damaged. Me and my family are safe. Powerful aftershocks continued till last night and smaller ones are sometimes felt even now. The northeastern coast was hit by Tsunami and badly damaged. Only wish the victims keep alive and saved safe as soon as possible.

今までに経験したことのない大きな揺れだった。立っていることもできない程で、じっと座って揺れが収まるのを長い間待った。大きな余震も夜まで続き今も頭がくらくらする。第一波が収まりテレビをつけると東北の海沿いの町々の惨状に目を覆った。お亡くなりになった方々のご冥福をお祈りすると共に、生存されている方々がいち早く救出されることを願っています。

2011/03/11

モロンという街 2

3万人弱の人口の内一番多いのは白色スペイン人、次がヒターノ(ジプシー)。その次は不明だが極端に少ないだろう。中国人が10人以上はいるだろうか。彼らが経営する中華料理屋が一軒、雑貨屋が一軒あった。訊くと彼らは数年前に中国大陸から来たと言う。そして日本人は今のところ二人である。数十年前までは洞窟住居で暮らすヒターノの家族も少なくなかったが、市の政策により、新しく建てられたアパートに移され今はそこで住んでいる人が多い。ヒターノは白色スペイン人をパジョと呼ぶが、ヒターノとパジョの関係は複雑らしい。お互いあまり干渉せず暮らしているようだ。外国人にはわからないところである。

さて、フラメンコはヒターノだけのものではない。ここモロンにも熱心なスペイン人アフィシオナード(愛好家)が多い。会員制のフラメンコクラブPeñaはバル(バー)も兼ねている。ペーニャ・デル・ガジョPeña del Galloには、月一回程度開催されるペーニャ(コンサート)を楽しみに多くのアフィシオナードが訪れる。年配の方が多い。私の滞在中にも二度開催され、一回はカディスからのカンタオール、2回目はパコ・デル・ガストールのファミリアたちが出演し、地元のフラメンコを楽しむことができた。そんなモロンであるが、フラメンコに全く興味のない人も数多くいることも書き加えておこう。


フラメンコたちが集まったCasa Pepeのあった場所


フラメンコについて詳しく書かれた本があるので紹介したい。「ひとつの生きかた」(A Way Of Life) である。(ドン・E・ポーレンDon E.Pohren著、青木和美訳、出版社 ブッキング)著者はアメリカ人(2007年没)で、1950年代にアンダルシアのフラメンコに初めて触れ、70年代までアンダルシアに暮らし、モロンの郊外のフィンカ(農園)を買い取って宿泊施設も兼ねたフラメンコセンターを作り、数年間経営したフラメンコアフィシオナードである。「ひとつの生きかた」は彼のフラメンコ三部作の三作目であり、当時のフラメンコの実情、ヒターノの暮らしや生き方を知ることができる。当時の貴重な写真も掲載されている。モロンのフラメンコたちについて特に詳しく書かれていて、ディエゴの演奏や人柄についてもよくわかる。私もモロン滞在中、ワクワクと胸を躍らせながら毎日少しづつ噛みしめるように読んだ。訳者の青木さんはスペイン在住であり、私がモロン滞在中にTさんのところへ遊びに来られお会いすることができた。博識な方でギターの腕前もかなりのものである。ポーレンの三部作の一作目「フラメンコの芸術」も頂いてしまった。「一つの生きかた」、ディエゴとモロンのフラメンコたちについて知ろうとすれば、これ以上の本を探し当てるのは難しいだろう。Superおすすめである。
なんといっても、亡くなった二人の哲学は、人生ははかない一瞬であり、憂鬱や悲嘆に足を引っ張られることなく生き抜くことにあったのだ。
「一つの生きかた」より (亡くなった二人とはモロンで愛されていたフラメンコ、フェルナンディージョとディエゴ・デル・ガストールのこと)


ポーレンのフラメンコセンター
建物はほぼ当時のまま残っている

2011/03/10

Ignacio de Amparo 2

その日もソレアのレッスン。前回のレッスンの後一日4~5時間練習して覚えたファルセータを弾く。わからなかった所を質問し確認したが、どうもこの前のとちょっと違う気がする。「即興Improvisatiónで弾いているので毎回少し違う。」とよく口にしていた。バリエーションがたくさんあるのだ。No pasa nada.あまり細かいことにこだわるのはやめよう。イグナシオは前回と同じようにファルセータをいくつか弾き、私に選ばせる。

イグナシオ「これはディエゴだ。」「これがディエギートだ。こっちの方がいいmejor(better)だろ?」

ディエギートのファルセータはディエゴのファルセータを基にしたものが多い。そう思うとディエゴの偉大さがよくわかる。ディエギートのファルセータは美しく、時に涙を誘う。

私「ディエギートのがいい。」
イグナシオ「おー、そうか、そーだろー。」

イグナシオが弾いた中にどうしても習いたかったものがあった。弾きたくて自分で音を取ろうとしたが無理だったものだ。
「ウン、タリラリーーン、ターリラリラーリーーン、ターーリラリー、ターリーラーリー、ジャーーン。」(これでわかる人は私のよい友達です。)
かっこいいー。「これだ!これを教えてくれ。」謎が解けてスッキリ、モロンに来て本当によかった。イグナシオは乗ってくると止まらない。次々と弾き、「もういいのか、次はどれがいい?」ギターが大好きなのだ。本当にうれしそうに弾く。結局その日はファルセータを5つ教わりレッスンを終えた。

イグナシオによると、彼が子供の頃、ディエギートが練習するのを家で一日中聴いていたそうだ。(うらやましい。)でも、ディエギートは自分から教えてくれたことは一度もなかった、とも言っていた。ディエゴについては彼が5,6歳の時に他界したのであまり覚えていないという。そんな中で育った彼がディエギートから受けた影響は計り知れない。大きくなってからは、ディエギートがどこかに演奏しに行くときに、「イグナシオ、ついて来い。」と声を掛けられ、いつもディエギートのギターを持ってどこへでもついて行ったそうである。つづく


カレーライス食べてギターがんばろー


2011/03/09

私とフラメンコギター

8年ほど前にクラシックギターを習い始めた。が、毎日仕事で疲れて帰宅した後、根気のいるギターの練習を自発的にすることは、怠け者の私にあまり期待できることではなかった。週に一回、3,4年習ったが練習しなかったので当然あまり上達しなかったが、「ギターをうまく弾けるようになりたい。」という気持ちだけは持っていた。(気持ちだけじゃだめだよね。とにかく何でも練習しなきゃ。)面倒だ→練習しない→うまく弾けない→やる気が起きない、という悪循環。弾けるようになりたい→辛抱して練習→ちょっと弾けるようになる→もっと上手くなりたいのでまた頑張る、としたいものだ。

その後、ネットで偶然フラメンコギターの演奏を見て聴いた。はじめは、クラシックギターに比べて汚い音(失礼!)だと思ったが、徐々に聴いて行くうちにその音も気に入るようになった。たまたま近所に教室があったので通い始めた。先生は厳しくまた熱心に教えてくれた。初めて習うラスゲアードはクラシックギターにはない指の動き、私の指は慣れない動きを求められ力が入らない。親指やアルベジオも強いタッチが必要である。「こんなことできるようになるのかな?」練習曲をいくつか終えた後、大曲へ。それはサビーカスSabicasのブレリアBuleria。楽譜をもらい少しづつ練習した。しばらくしたある日、その曲を初めて聴いた。感想→「これって無理でしょー。」Youtubeで本人の演奏を見た→「こういう曲だったの?」愕然とした。速い!ウマい!(易くはない。)途中まで覚えたが、自分のやりたい曲とは違うので何かあまりやる気が起きなかった。先生はディエゴDiego del Gastorの曲は教えていなかったのだ。(今考えると当たり前で、ディエゴのギターをちゃんと教えられる人は世界でも限られている。)結局その曲が完成しないうちにその教室はやめてしまった。

悲しいかなディエゴのギターはCDとして入手できる音源が少なく、彼の音楽は広く世に知れ渡ってはいない。ディエギートも同じである。一般的な、あるいは流行のフラメンコギターとはちょっと違い、好き嫌いが分かれるアーティストであるのも確かである。私は、例えば彼らの、魂のこもったソレアやのどかな田園風景を想わせる軽快なブレリアが大好きである。つづく



Diego del Gastor


2011/03/08

モロンという街

モロン・デ・ラ・フロンテーラはスペイン南部、アンダルシアのセビージャ県に属する市である。セビージャからバスに乗り1時間15分くらいで着く。途中ハイウェイも長い時間走るので、東名高速なら東京から御殿場の手前くらい(わかって頂けるでしょうか?)の距離だろうか。そう考えると結構遠い。ここはアンダルシアのなだらかな丘陵地帯の入り口に位置している。気候は日本よりも暖かく、夏は暑い。最も暑い時は気温が45℃くらいまで上がる。人口は3万人弱、「のどかな田舎町」と言ってしまえば簡単だが、街を歩いているとその表現もピッタリは当てはまらないように感じる。それほど「田舎」でもないし、若者や子供も多く、派手ではないが結構活気もある。一見するとこれという特色や見どころのない平凡な住宅地、セビージャ近郊の小ぎれいで静かな小さめの小都市、といったところだろうか。


ピソ(アパート)から見たモロン城

Paseo del Gallo

El Gallo de Morón


見どころとして、イスラム時代のお城Castillo de Morónの跡や伝説の鶏El Gallo de Morónの銅像のある見晴らしのいい公園Paseo del Galloなどがある。が、ここモロンは観光地ではない。これは明らかだ。なぜかというと…絵はがきが売っていない。少なくとも私は見たことがない。(モロン市役所の方へ。もしあったらゴメンナサイ。)土産物屋も無い。が、しかし、観光地でないにもかかわらず目抜き通りにはちゃんと観光案内所がある。観光客は多く見積もってもせいぜい一日一人であろう。(言い切るのもなんですが本当にそんな感じ。)お客が少ないからか観光案内所に行くと、いつもお姉さんが丁寧に対応してくれる。鉄道も通らない、観光地でもない、また他の観光地への経由地でもないこの街にわざわざ遠くからやってくる人は少なく、そのような人々の目的の多くはこの地のフラメンコである。


Paseo del Galloから見た街並み

ピソから見た街並み


現地に在住のTさんによれば、モロンは陸の孤島「ガラパゴス」、だそうだ。そうかも知れない。モロンの人(モロネーというらしい、ちょっとだけかっこいい。)はモロンが大好きだ。ここで生まれて育ち死ぬまで離れない人も多いという。生活はすべて地元で事足りてしまうので、セビージャにさえめったに行かないらしい。私も一ヶ月住んでみて、とても居心地が良かった。静かで安全でのんびりしていて物価も安い。住民はお互いに顔見知りな場合が多く、都会のようにギスギスした雰囲気はない。きっと長く住めば「おらが街」と自慢したくなる、そんな街である。

Calle Fernando Villalon

モロン市役所


そして…ここがその陸の孤島(のようなところ)であるが故に、幸いにも昔ながらの、ちょっと言葉は悪いが「土臭い」そして味のあるフラメンコが、あまり流行に左右されることなくしっかりと現在に受け継がれているのかもしれない。つづく


深夜の目抜き通り Calle Pozo Nuevo

2011/03/07

An Unforgettable Stay at

Posada San Sebastian, Antigua Guatemala


Entrance

Reception  Isn't it cool?

Room

Room

Open space on the 2nd floor

Study Spanish surrounded by the antiques

Patio

Terrace

Volcán de Agua from the Terrace

I spent the last week in Antigua at a hotel. It was a very unique hotel and I really enjoyed staying there. Posada San Sebastian is located in the center of the city. Once you step inside the hotel, you will feel relaxed, comfortable and safe. It had not more than 10 rooms, a spacious patio and a large roof balcony. Everywhere in the hotel was attractive antiques, which the owner told me the staff occasionally visited neighboring small villages or sometimes far away towns and found. They always made me enjoy watching them. The hotel was like a museum. The single room I stayed had enough space and was very clean. I had no problems during my stay. Each room was decorated with antique furniture. The staff was so nice and helpful.


Antiques


They kept a green parrot, who spoke Spanish, in the patio. One day, when I was playing the guitar, he suddenly flew close to me. He stayed beside me and listened to my guitar quietly. He had waited until I stopped playing, and said, "Bueno!" How nice he is! Believe it or not. Why don't you try yourself? One thing that you must keep in mind is not to try to teach him Japanese. He might get confused, scream out something incomprehensible and fly away from you in the end.

This hotel is highly worth recommended.
If you are already or still in Antigua, just call them today.


My dear friend


2011/03/06

グァテマラ 其ノ三

大事なことを紹介するのを忘れていたが、私の滞在したアンティグアは街全体が1979年にユネスコ世界遺産に登録されている。グァテマラ高地に位置するこの小さくてかわいらしい街の標高は1500メートル、気候は涼しくとても過ごしやすい。街を歩くとまずパステルカラーに塗られた家々に目を奪われる。真っ青な空がその美しさを引き立たせている。民族衣装を身にまとったマヤ族の人たちもよく見かける。またスペイン植民地時代の建築物や教会の遺構が数多くあり、世界各地からの観光客が後を絶たない。とても小さな街なので、街の端から端まで歩いても30分かからないかも知れない(時速5kmで歩いた場合)。欧米からの若者も多く、スペイン語を勉強したり、長期滞在してゆっくりと失恋の痛手を癒したり(推測)、新たな恋に落ちたり(見た)…。日本からちょっと遠いが、もしブラジルに行く用事があったら是非途中ついでにふらっと立ち寄ってみてほしい。現在日本からグァテマラへの直行便はなく(過去にもなかったし未来もないであろう)、私はロサンゼルス経由で行った。フライト時間は計約13時間だったが、乗り継ぎが悪く25時間もかかってしまった。


Una calle con el tono a pastel

Pintalo Amarillo!

Frutas


アンティグアの街は1700年代に起きた地震で大部分が破壊されたという。現在その遺構の調査と修復作業が行われているが、同じ家にホームステイしていた台湾人のエミリアはその仕事に従事していた。台湾政府が調査・修復に援助・協力していて、彼女はその仕事に応募して派遣されたそうだ。仕事の現場にもお邪魔し見学させてもらった。中国の台頭で台湾はますます孤立に追い込まれている。中南米諸国の多くは元々台湾と国交があったが、まるでオセロゲームのように中国に鞍替えした。どちらとも仲良くすればいいのにね。本当にどうにかならないものかな。ともかくまだ国交のある国は大切にしなければいけないのである。まだ付き合いのある友達も大切にしなければいけないのである。


Ruinas

Iglesia

 
En una Posada

Pintura de Maya


 アンティグア滞在中に二回小旅行をした。一回目は日本人が経営している小さな旅行社にお勧めの場所を訊き、そこのツアーでグァテマラ中央部にあるセムクチャンペイSemuc Champeyというところに行った。そこはちょっと前まで秘境だったらしい。バンで3時間くらい走るとコバンcobánという街に着いた。ここで一泊。次の日、またしばらく走ると途中で四輪駆動のジープに乗り換えた。舗装されていない細い山道を1時間くらい行くと山間(やまあい、ってこう書くんだー)の渓谷に着いた。30分くらいかけて展望台Miradorに登り下を見下ろす。どこかで見た風景、いや実際に見たのではなく写真で見たあの…中国の九寨沟(きゅうさいこう)にそっくり。エメラルドブルーの水を湛えた(たたえた、ってこう書くんだー)水棚が眼下に広がった。絶景である。川に降りると地元の子供たちが泳いで遊んでいる。私も海パンに履き替えて水に入った。ちょうどいい水加減。水辺でゆっくり休んで元来た山道を下りコバンのホテルに戻った。3日目はコバンの街を見学し、野鳥センターによってからアンティグアに帰着。ツアー料金は宿泊・食事すべて込みで確か110ドル、お値打ちでした。二回目の旅行の話は省略いたしまーす。


Semuk Champey


Refresh!!!


 

2011/03/04

Guatemala 2

I stayed in Antigua, whose proper name is La Antigua Guatemala, for a month and studied Spanish. I knew that homestay was the most common accommodation there and just chose the way. My host was an old man who lived alone in a nice and big house near the city center. My room was on the 1st floor, the second in our country. It was not very large but had enough room for a single person, and I liked it very much. Inside the house was very tidy and also bright thanks to the sunlight through the windows and the affluent open space. I was served three meals on weekdays and two on weekend. I remember that I paid only 70 dollars a week.


My room

Corridor

My host Don R. hired a maid, whose name was Maria. She was a middle aged Mayan and she came to work from home every day.  She cooked a various kind of Guatemalan food for us and they were so good. Many traditional foods are based on Maya cuisine and prominently feature corn, chiles and beans as key ingredients. If you live in Guatemala you will know that corn tortillas are fundamental to Guatemalan eating.  They are served with virtually every meal. The tortillas of Guatemala and those of Spain are two different things. I like the both.

Tortillas of Guatemala トルティージャ

Guatemalan dish with Furikake


Platanas


グァテマラのアンティグアでホームステイした家は大きくてとれも奇麗だった。滞在費も3食付きで週70ドルと日本の物価からしたらかなり安い。ただひとつの、且つ結構大きな難点は…夜の11時くらいから朝4時くらいまで、市の給水制限で水が出ないことであった。(給水設備を持つホテルや一部の住宅は大丈夫です)そう、トイレの水も流れないということである。小の時は無論、大の時も然りである。(あたりまえか)これはかなり緊張する。3週間のホームステイ中、幸運にも一度も難儀はなかった。「できない」とわかれば体質改善?するのである。多分。人間ってすごいなー。そうだ!ということは、「できる」と思えば、そして練習すれば必ずディエゴのように弾けるようになるのだ。たぶん。

グァテマラの料理にトルティージャがある。メイドのマリアがほとんど毎食焼いて出してくれたので、ここの主食なのだろう。とうもろこしの粉を練ってのばして焼いたものであり、スペインのトルティージャとは全く違う。欧米ならパン、カレー圏ならナンにあたるものかもしれない。それだけで食べると味気ないが、肉や野菜などと一緒に食べるととても美味しかった。そしてほとんど毎食肉や野菜の入ったスープや、食後にはデザートのフルーツも出てきた。

ある日、お世話になっている大家さんのラミロ、お手伝いのマリアそして同じ家に長期でホームステイしていた台湾人の女の子エミリアのためにカレーライスを作ってあげようと思いマリアに伝えると、「必要なものを教えて。買ってくるから。」と協力してくれた。じゃがいも・玉ねぎ・にんじん、そして鶏肉を頼むと早速大量の食材とニワトリ一羽、そして頼んでいないトマトをキッチンに持って来てくれた。ニワトリをさばくのはマリアにお願いしたが、「あとは見ててくれ。」と言いカレー作りに没頭。バーモントカレーの箱の裏側の作り方の説明通り、「材料が沸騰したらあくをとり、一度火を止めてから」カレー粉を投入。私が作っていいる間、マリアはずっとそばに立って興味深そうに眺めていた。退屈しのぎに音楽でもと思い、パコ・デ・ルシア伴奏のカマロンのカンテをキッチンで一緒に聴いた。私「何を歌ってるのかわかるの?」マリア「わかるわよ。恋の歌よ。だってたいがいそうでしょ。」カレーができて味見をする。ES MUY BUENO! いつにも増して上々の出来である。トマトが功を奏したのである。その晩みんな「おいしい!」と言って食べてくれた。少し残ったカレー粉はマリアが欲しいと言ったのであげた。家でうまく作れたかな?つづく



So beautiful!

2011/03/03

危地马拉

危地马拉(Guatemala)是中美洲的一个国家,位于美国下边的墨西哥的下边。说下边也并不指地下帝国,就是南部。呵呵!我原来打算去西班牙学习弹吉他,可想先要学习语言而网上查一下到哪里学习最好最便宜。我好不容易找到了一个合适的地方。那就是旧危地马拉(La Antigua Guatemala),离危地马拉的首都危地马拉市不算远的老首都。网页介绍,「风景真美,气候温和,治安好,物价很便宜。」我立刻和一个日本人办的语言学校联系,订了教学和住宿,而安排了机票,一个月后就在那儿开始学西班牙语了。


Una calle en Autigua  


到了Antigua,我就知道网页的记述一点都没有错的。那里来很多外国年轻人学习语言。在我呆了的一个月中,天气一直挺好。我去的是四月份。听说,冬天就是那里的雨季,三月份天气才好转的。城市很美很干净,周围的风景也非常好。从市内的什么地方都看得见像日本的富士山似的一个火山Volcán de Agua。我每天上两节课,学习了简单的日常会话和主要动词的活用。刚开始学习的时候觉得西班牙语很难学。可是慢慢地习惯说西班牙语了。我发现在Antigua的教学都是一对一的教学,老师们好像都是土著居民的玛雅族。我们的教学费可能是他们主要的收入之一。我学习得好,玩得开心。


Volcán de Agua

Mayan mercado


2008年、スペイン語を習いにグァテマラへ行った。これも「モロンへの道」なのだ。へっへっへー。ではなぜスペインじゃなく、わざわざ遠回りしてグァテマラなのかと言うと…単に私があまのじゃくだからという理由だけではなく、物価が安く治安もよさそうだし、それに中米は行ったことがなかったから行ってみたかったのである。首都のグァテマラシティーはかなり危ないところがあるそうだし、中国語の国名から見てもわかるように、一般的に「危ない国」という先入観があるようだ。(それにしてもこの名前はひどいよねー。)私の滞在したアンティグアは気候もよく安全だった。家々に飾られた色とりどりの花に彩られた碁盤の目のような街並みは本当に美しかった。アンティグアは昔スペインのコロニアル都市であり、1773年の地震で壊滅的な打撃を受けるまで、ここにグアテマラの首都が置かれていた。 今も地震で崩れた建物が一部残されており、修復や保存の作業が進められている。スペイン語はスペインと表現が違うところがあり、例えば、スペインでよく使うVale(オーケー)はほとんど聞いたことがなく、丁寧にEstá bienと言っていた。私は初めそれを知らず、一人でVale!Vale!ValeVale!!~と連発してVacaみたいだった。グァテマラの人がアンダルシア弁を聞いたら理解できないかも知れない。つづく


Panaderia 面包店  パン屋 


2011/03/02

Ignacio de Amparo

モロンに着いた日の夜、早速イグナシオのレッスンを受けた。初対面。がっしりとしたガテン系の体つきとスキンヘッド、叔父のディエギートに全く似ていない。Hola, encantado!はじめましてとあいさつを交わして握手した手は男らしく力強かった。大きく太い声を持つ彼は、同時にとても熱くそしてやさしくて純粋な眼の持ち主でもあった。どうして初めて会った瞬間にそんなことがわかるのか、って?んー、これは多分に後々得た印象も含まれているかもしれない。とにかくフレンドリーでさわやかな男であった。


ステーキ食べてギターあんぱろーがんばろー


レッスンスタート。「弾いてみろ。」というので知っていたディエゴのソレアを弾く。いつもどおりあまりうまく弾けなかったがそれはいい。こちらのレベルを分かってもらえた。イグナシオは真剣に私のギターを聴いていた。上手い下手は別にして、時折、「こんなのも知っているのか?」というような驚いた表情もしていた。「何を教わりたい?ソレア、ブレリア、シギリージャ?」と訊くので、ソレアと答えた。やはりソレアでしょう。「OK!」と言ってイグナシオは弾き始めた。ゆったりと構えたギターで弾くソレアは、ゆっくりとして力強いものだった。絶妙な間と唸るようなプルガール。その迫力に圧倒される。こりゃすごい。まさにディエゴだ。おれが求めていたトーケだ。イグナシオは次々とファルセータを弾いて、「これか?これはどうだ?」と、どれを教えてほしいのか訊いてくる。「それがいい、それを教えてくれ。」と頼む。そして一つ一つゆっくり真似して覚える。その日は、初めて聴くものも含めてファルセータを4つ教わった。「もっとブリッジ寄りで弾け。」「ソレアはゆっくり弾くんだ、心corazónをこめて。」イグナシオは真剣に教えてくれた。嬉しかった。イグナシオも嬉しそうだった。気がつくと一時間半が過ぎていた。つづく


2011/03/01

モロンへ

モロン滞在中、週に1~2回イグナシオIgnacio de Amparoのレッスンを受けた。モロンに1年以上滞在しているディエゴの大ファン、マニア、いやオタクであるTさんのブログで彼のことを知った。

私はディエゴやディエギートのギターが好きで、何年も前から是非モロンのギターを習いたいと思っていたが、どこに行って誰に教わることができるのかネットでくまなく調べたがわからない。どうもディエギートは教えていないようだし、もし教えてくれる人が見つかっても、モロンに一軒あるホテルに長期で泊まれば滞在費がかさむ(以前日帰りと一泊、モロンへは2度行ったことがあり、その一軒のホテルHostal Morónにも泊まったことがある。安い部屋で一泊30ユーロ)。セビージャやへレス、グラナダと違ってレッスンしてくれるギタリストやアパートの情報がないのだ。

そこで出会ったTさんのブログ。「イグナシオしかいない!」ブログによると彼はギターのプロとして生計を立てているわけではないが、ディエゴたちの演奏スタイルを受け継いでおり、そのギターはmás puro(より純粋、ピュア)だと言う。面識のない方だったのでメールするのは多少躊躇したが、意を決してメールし、「モロンに行くのでイグナシオを紹介してもらいたい」と伝えた。Tさんはどこの馬の骨かわからない私(しかも男)に返事を下さり、モロン行きが決定。というか「伺いますのでどうぞよろしく」と勝手に宣言。今回の滞在ではTさん、そして奥さまのMさんに何から何までいろいろとお世話になり、また本当に親切にして頂いた。その上、お二人は私がお邪魔した日の前日の深夜に日本から戻られたばかりで、お疲れのところ大変ご迷惑をおかけしてしまった。

Tさんとはモロンのバス停で待ち合わせることになった。「ここで降りるんじゃないのか?だれか待ってるぞ。(スペイン語はわからなかったがおそらくそんな感じ)」見知らぬ乗客に促されてバスを降りると、ディエゴと同じような帽子をかぶった、想像していたよりもやさしい感じのTさんが出迎えてくれた。知らない者同士、その時初めて顔を合わせてお互いにやっと少し安心できたでしょうか。とりあえずその日はオスタルモロンに泊ることにしてチェックイン。次の日以降の滞在先は決まっていなかったが、Tさん「上の部屋空いてるんじゃないかな。訊いてみるよ。」空いていました上の部屋、それは一番上の屋上の小さな部屋。なんてラッキーなやつ。Tさんはイグナシオにも連絡してくれて、なんとその日の夜からレッスンを受けることになったのである。次の日の朝セビージャのホテルに預けてあったスーツケースを取りに行き、大家さんに家賃と保証金を払いほっと一安心した。つづく


バルコニーから見たモロン城

モロンの夕日