2011/03/11

モロンという街 2

3万人弱の人口の内一番多いのは白色スペイン人、次がヒターノ(ジプシー)。その次は不明だが極端に少ないだろう。中国人が10人以上はいるだろうか。彼らが経営する中華料理屋が一軒、雑貨屋が一軒あった。訊くと彼らは数年前に中国大陸から来たと言う。そして日本人は今のところ二人である。数十年前までは洞窟住居で暮らすヒターノの家族も少なくなかったが、市の政策により、新しく建てられたアパートに移され今はそこで住んでいる人が多い。ヒターノは白色スペイン人をパジョと呼ぶが、ヒターノとパジョの関係は複雑らしい。お互いあまり干渉せず暮らしているようだ。外国人にはわからないところである。

さて、フラメンコはヒターノだけのものではない。ここモロンにも熱心なスペイン人アフィシオナード(愛好家)が多い。会員制のフラメンコクラブPeñaはバル(バー)も兼ねている。ペーニャ・デル・ガジョPeña del Galloには、月一回程度開催されるペーニャ(コンサート)を楽しみに多くのアフィシオナードが訪れる。年配の方が多い。私の滞在中にも二度開催され、一回はカディスからのカンタオール、2回目はパコ・デル・ガストールのファミリアたちが出演し、地元のフラメンコを楽しむことができた。そんなモロンであるが、フラメンコに全く興味のない人も数多くいることも書き加えておこう。


フラメンコたちが集まったCasa Pepeのあった場所


フラメンコについて詳しく書かれた本があるので紹介したい。「ひとつの生きかた」(A Way Of Life) である。(ドン・E・ポーレンDon E.Pohren著、青木和美訳、出版社 ブッキング)著者はアメリカ人(2007年没)で、1950年代にアンダルシアのフラメンコに初めて触れ、70年代までアンダルシアに暮らし、モロンの郊外のフィンカ(農園)を買い取って宿泊施設も兼ねたフラメンコセンターを作り、数年間経営したフラメンコアフィシオナードである。「ひとつの生きかた」は彼のフラメンコ三部作の三作目であり、当時のフラメンコの実情、ヒターノの暮らしや生き方を知ることができる。当時の貴重な写真も掲載されている。モロンのフラメンコたちについて特に詳しく書かれていて、ディエゴの演奏や人柄についてもよくわかる。私もモロン滞在中、ワクワクと胸を躍らせながら毎日少しづつ噛みしめるように読んだ。訳者の青木さんはスペイン在住であり、私がモロン滞在中にTさんのところへ遊びに来られお会いすることができた。博識な方でギターの腕前もかなりのものである。ポーレンの三部作の一作目「フラメンコの芸術」も頂いてしまった。「一つの生きかた」、ディエゴとモロンのフラメンコたちについて知ろうとすれば、これ以上の本を探し当てるのは難しいだろう。Superおすすめである。
なんといっても、亡くなった二人の哲学は、人生ははかない一瞬であり、憂鬱や悲嘆に足を引っ張られることなく生き抜くことにあったのだ。
「一つの生きかた」より (亡くなった二人とはモロンで愛されていたフラメンコ、フェルナンディージョとディエゴ・デル・ガストールのこと)


ポーレンのフラメンコセンター
建物はほぼ当時のまま残っている