2012/02/25

CD以前 Ⅱ

「フェンスの向こうのアメリカ 本牧四丁目」
Peeping into the world of Samantha and Darrin

横浜にあった米軍住宅を訪れたことがある。駐留アメリカ軍兵士に嫁いだ親戚に招待されたのだ。中学一年のときである。祖父母と父母は背広と着物で正装し、子供たちもきちんとした格好をさせられた。まだかろうじてそういう時代だったのだ。

あいにくその日は小雨の降る天気だった。一家は東海道線で横浜まで行き、そこからバスに乗った。下車する停留所の名前は、家族が何度も確認し合っていたので今でも忘れずに覚えている。二十分もかからずにバスは「本牧(ほんもく)四丁目」に到着した。バスを降りるとすぐに、道に沿ってずっと張られた金網のフェンスが目に入った。その向こう側が白くてきれいな二階建ての米軍住宅が点々と建つ広大な芝生の敷地のアメリカだった。

ご夫妻の笑顔に迎えられ私たちは白いアメリカンハウスの中に入った。土足禁止にされていたので玄関で靴を脱いで上がった。ご主人はもう四十代か五十代の物静かでやさしそうな方だった。敷地が広いので遠くから見ると小さく見えた家も、中に入るとかなり広くて子ども心に羨ましく思った。広い部屋に敷きつめられた毛足の長いふかふかの絨毯や、畳の部屋なら1セット置いただけで足の踏み場がなくなりそうな大きなソファーは、正にテレビで何度も繰り返し見たアメリカのドラマ「奥様は魔女」のサマンサとダーリンの家と一緒だ。アメリカの家はインテリアの色や室内の匂いも違った。

食事に何を頂いたのか全く覚えていないが、アメリカの家庭なので、もしかしたらシュガーをふんだんに使ったチェリーパイをご馳走になったかも知れない。「何かして遊ぶ?」と訊かれたので、トランプがしたいと思い、アメリカ人のご主人に直接「トランプ、トランプ」と英語のつもりで何度か訴えたが全く通じなかった。奥様の助けを借りてようやく意味が通じた。英語ではplaying cardsと言うのである。中1の時の私の英語はこの程度だった。

その家で初めてアメリカのレコードを見た。それはカーペンターズCarpentersのLPレコード。チョコレート色のジャケットにCarpentersのロゴが書かれているアルバムだった。今調べるとカーペンターズが売れ始めてまだ2、3年の頃だ。「イエスタデイ・ワンスモア」は知っていたしいい曲だなとは思っていたが、私が熱心に洋楽を聴くようになったのはこの1、2年後からである。

誰一人として英語を話せなかった(別に恥ずかしいことではありません)うちのファミリーはアメリカ人のご主人とのコミュニケーションはほとんどなく、ホストに親切にして頂いたにもかかわらず終始緊張気味であったのは仕方のないことだ。ともかくもアメリカのライフスタイルを垣間見てフェンスの外の日本に戻った。

先日まだ若くして逝去された柳ジョージさんのグループ、柳ジョージ&レイニーウッドの「YOKOHAMA」というアルバムを大学生のときに買った。その中に「FENCEの向こうのアメリカ」という曲があり、このときのことを思い出した。もしかして私の訪れた本牧の米軍住宅がその場所だろうかとずっと思っていたが、調べてみるとやはりそうだった。米軍住宅地区は30年前に返還されアメリカンハウスは既に取り壊されていた。今マイカル本牧(現在はイオン本牧らしい)が建つあたりがかつてのその場所だという。


おすすめの2枚 CDも持っています


彼は元々ブルースの歌手だったが、柳ジョージ&レイニーウッドとして大ブレークした。彼のしわがれた迫力のある声はどこかやさしさも帯びている。柳ジョージの声がレイニーウッドのしっかりとしたサウンドや楽しいコーラスと、絶妙なアレンジにより融合して、インパクトがあり聴き心地も良い音楽になっている。詩や曲は柳ジョージ一人ではなくいろいろな方の手に依る。ブルース調(ブルースについてほとんど知らないのでこう書きます)のものだけでなく歌謡曲やフォークっぽく感じられる曲もあり、それが親しみやすい理由かも知れない。たまに出てくる重たい歌詞も、メロディーに乗って耳に入ってくるからなのか聴いているときは沈痛な感じをあまり受けない。2枚のアルバム「RAINY WOOD AVENUE」「YOKOHAMA」は彼らの金字塔と言ってもいいだろう。どちらも甲乙つけがたいすばらしい作品だ。ありがとう柳さん。


何をされても 笑っていた
お前の胸の中には
数えきれない十字架が
突きささっていたんだろう

「ブラサー・ジョー」より

人生のサンプルはごめんだよ
気取っても 酔いどれても
時間(とき)は過ぎていく

「チャイニーズ・クイーン」より