2012/09/08

他人のiPhoneは...

初めてそれを見たのは2008年の秋、場所はスペインのグラナダだった。

ギターのクラスが一緒だった気立ての優しいイギリス人のポールが、「これはiPhoneて言うんですよ。知っていますか?」と言って、新しく買ったらしい最新の携帯電話を見せてくれた。初代のiPhone、もちろん見たこともなかったし存在さえも知らなかったと思う。ポールは画面を指でなぞって操作した。指の動きに合わせて液晶画面の写真が拡大・縮小したり、回転したり、縦横に持ち替えるとそれに合わせて画面も切り替わったりするのを見て驚いたものだ。
「すごいものが出来たな」「これ高いんだろうな」
そのときは、何故かわからないが、その製品を自分で所有することを想像できなかった。

あれから4年の間に、その画期的な製品は加速度をつけて世界中に普及していったのである。中国でもAppleの製品は売れているようだった。空港でも、機内でも、そして街中を歩いていてもiPhoneを操作している人をよく見た。更に驚いたことは、iPadを使っている人もそこいら中で見かけたことだ。

私はiPhoneを初めてのスマートフォンとして購入してからまだ1年も経っていない、言わばスマホ初心者だ。他のメーカーのスマホは触ったこともなく、iPhoneとの比較もできない。けれども、iPhoneをとても気に入って使っている。

ケータイやスマホは軽いのには超したことのないような気もするが、iPhoneは、手に持つと、しっかりとしたと言うか、ずっしりとしたと言うか、とにかくちょっとした重みを感じる。それが苦にならず逆に心地よくも感じるのは不思議である。

iPhoneの液晶画面はガラスなので、手から落として割ってしまったり金属などで傷つけてしまったりすることのないように気は使う。買ってしばらくは、ガラスを保護するためノングレア(光があまり映り込まない)のフィルムを貼っていたが、フィルムが貼ってあるとホームボタンの操作性が悪くなる(押しづらい)し、やはりフィルムの無い方が画面がきれいに見えるので、今では剥がしてしまっている。

ケースはエアジャケットという製品をすぐに購入した。その名の通りかなり薄くて軽量なケースのため、落下の際の衝撃吸収は期待できないが、見た目が他の分厚いケースよりも遥かにカッコイイので他の製品に替えようとは思わない。と言うか、一度ブック型のを試してみようと思いケースを外そうとしたが、ケースがピッタリフィットし過ぎてどんなに頑張っても外すことができかったこともあって、「このままでいいか」となったのが事実である。

iPhoneは触っていても見ていても気持ちがいい。作りがとてもしっかりしているし、ホームボタンなどのタッチの感触も心地よい。ディスプレイも奇麗だし、また、操作したときの画面の動きが柔らかくて自然なのもいい。

さて本題です。
電車の中でも本当によく見かけるこのiPhone。
目をやるといつも「他人のiPhoneの画面は大きく見える」のです。
なぜなんだろう。オレだけかなぁ。



MacBook Air これまたよく出来ています